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2006年10月 6日 (金)

「神かむm」と「神かんn」の考察 本居宣長vs上田秋成

 本居宣長『呵刈葭(あしかりよし)』の原名は前編を『上田秋成論難同弁』、後編を『鉗狂人上田秋成評同弁』という凄まじい題名がついています。
 この『呵刈葭(あしかりよし)』という分かりにくい題の正しい意味を漢語辞典で調べてみれば、「呵」は「叱る」とか、「咎める」という意味を持っており、 「刈」は、草を刈るなどの意味の「乂(ガイ)」という読み方をし、一般に「カガイカ」 と読まれていますが、上田秋成論を“叱り、刈り取る”という意味でつけられているのです。 

    【日本語の世界7『日本語の音韻』】小松英雄(中央公論)http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/05/post_7db7.html  でも紹介したように、戦後「近代かな遣い」になるまでの日本語は、「あはれ」と書いて「アワレ」と読むような使い方をしてきました。
 この「表記」と「発音」の違いを研究していた本居宣長は、『古事記』や『万葉集』などに記された古代の万葉仮名「加牟加是(神風)」という表記を見て、「神」を【(かん)n」とは発音しなかった、「神」は【加牟(かむ)mu】と発音していた、古代に「ん」【n】」という発音は無かったと言い切っているのです。
 それに俄然反駁したのが『雨月物語』などでお馴染みの上田秋成でした。「とんでもない」と批判しているのです。表記は【牟(む)mu】となっているが、それを【ん】と読むのが日本語の習わしである。『私意もはなはだしい。』、これが日本語論争として天下に鳴り響いた本居宣長と上田秋成、両者一歩も譲らない『音韻考』論戦の始まりです。
  本居宣長はこうした【む】のような歴史的仮名遣いのことを「字音仮名遣」と言いました。「行かん(n)」は【行かむ(mu)】であったし、「帰らん(n)」は【帰らむ(mu)】であった。
 「三位一体」という場合の「三位」は【さんい】とは読まず【さんみ(mi)】と呼びます。これは「三」という字を【さん(san)】と読まず、【さむ(samu-i)】と呼んでいたことの名残だと思うのですが、「陰陽」を【おんよう】ではなく【おむ・よう】であったからこそ、【omu-yo】【おんみょう】と発音したのだという例などをあげ、本居宣長は【ん(n)】はすべからく【む(mu)】と呼んだという自説を説いていくのです。
 そもそも日本語の漢字の表記に「ん」の字が無い。それこそ【ん】は無かったという証拠だということを宣長が言ったのでしょう。それに対し、一字で「ん」を表す漢字はなかったかもしれないが、「韻」だろうが「覧」だろうが「ん」と読む漢字はいくらでもあると反論しています。
 秋成は「ん」は「音」ではなく「韻」だから漢字が無くても筋は通るということを言っていますが、お互い証拠を出せと言う言い合いにもなっていきます。
 『【ん】と読んだ証拠も無いなら、【む】と読んだ証拠もないではないか』。秋成は宣長に食ってかかりますが、こうなると論争と言うよりは、ただの喧嘩です。
 その秋成に対し、「丹波」を「多南波(たむは(tamuha))」と表記されていること。これは【たんば(tanba)】とは言わない。【む】を【ん】と読むのは、発音の便宜上、音便が崩れた訛であると、あくまで宣長は言い切ります。
 ここから秋声は【は(ha)】と【わ(wa)】に関しても言及してゆくのですが、「阿波」を【アワ】とは言わなかった【アハ】と表記されていると、宣長はここでも頑と譲りません。
 【は(ha)】と【わ(wa)】に関して言えば、阿波は確かに【アワ(awa)】ではなく、「波」という漢字を使い【アハ(aha)】と表記されています。とはいえ、これは 阿波の発音が当時は【わ(wa)】いう発音ではなく、むしろ【は(ha)」】に近い音で発音されていたがゆえ、漢字としてそう表記したと考えるべきではないでしょうか。
 つまり、表記されている字が、必ずしも正しい発音を示しているとは限らなかった。当てはまらない発音を無理矢理似た発音の漢字に当てはめていったので、読む段になるとズレが生じたのでしょう。 
 
  この両者の【む】と【ん】に関しても、「文字」と「発音」その読み方に関しては、漢字はそのままであったとしても、早い段階で音便の変化、読み方は【む】から【ん】に変わったと私個人は思っています。    

   【日本語の世界7『日本語の音韻』】にも書きましたように、アイヌ語では「神様」のことを「カムイ」と言います。まさにこれなどは宣長が言う【神(かむ)】という発音の名残と思いますが、古代には【wa・wi・wu・we・wo】という発音や【mwa・mwi・mwu・mwe・mwo】というような発音、【pfa・pfy・pfu・pfe・pfo】のような「ぱ」か「ふぁ」か分からないような発音、あるいは【fwa・fwi・fwu・fwe・fwo】【wha・whi・whu・whe・who】のような、「は」か「わ」か分からないような発音があったと思われるのです。
 「は」の古代の発音が【ha】ではなく【fwa】に近く、【afware】というように発音していたのではないかと考えるのも、音便の変化で【f】が抜け落ちていったという考えもできるからです。
 あるいは古代【wha・whi・whu・whe・who】というような音で発音されていたなら、【awhare】は【w】が抜け落ちて【あはれ】に、【h】が抜け落ち【あわれ】になったのかもしれず、ただ、宣長、秋成のどちらもが『証拠出せ』と言い合ったように、「証拠を」と言われたら、そのようなものは全く無く、当然私の言っていることも、ただの推測でしかないのです。
    
    この音韻論議は後半、 秋成の、西洋には別の「神」がいて、外国の人々は日本の日神「天照大神」のことなど信じていないという主張に対して、宣長の『西洋の“天主ごとき”はみな偽造』という驚くべき西洋キリスト教批判になっていきます。と同時にこれが、宣長の天照大神、日神が天の下しめる神国日本という『世界万国大本』論に発展してゆきます。
 当時、時代は変わろうとしていて、蘭学も盛んに学ばれ始め、秋成は宣長に世界をもっと広く見るべきでは? ということを言うのですが、それに対し、西洋の基準でモノゴトを考えるな、というのが宣長の言い分だったのです。
 宣長のもともと思想の根本には、漢意(からごころ)、漢学・儒学に対しての批判があります。しかし、そこまで皇国を万国の上に置こうとする宣長を秋成は非難。言葉が過ぎて独断家弊害なりと言って、この論争は終わっています。 
  「神」は【かむ】と書かれ、【かん】と読まれた。「行かん」ということを書くときは【行かむ】であったし、「帰らん」は【帰らむ】と書いた。大阪の「浪速」「難波」は【なには】と書かれ、読むときは【なにわ】と読んだ。「蝶々」は書くときは【てふてふ】と書かれ、読むときは【ちょうちょう】と読んだ。【どぜう】と書いて【どじょう】と読み、「南無阿弥陀仏」は【なんまいだー】と読まれていく。
 しかし日本語のこの歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)の理由は分からない。何故かずうっと「表記」と「発音」は違っても、違いのまま、そう使ってきたのだ。
 宣長の言うことも、秋成が言うことも一理あり、【む】は【ん】と読まれてきたのは事実であるから、どちらが正しということは言えないのですが、この『書き言葉(文字)』と『話し言葉(発音)』の違いの不思議は、日本語がずっと『文字』を持たず、口伝でモノゴトを語ってきたためであると、私は思っています。
 漢字が入ってきた時、当時の人はあてはめる言葉に困り、当てはまらない発音の言葉に関しては、発音の似たような漢字を取り入れ、“読み”はそのまま日本語の読み方をしたため、そのズレが生じたのではないか、ということを先日【『古事記』口伝から文字へ】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/09/post_4f8f.html でも書きました。
 一つの「あ」という言葉を文字で表現するのに、幾つもの漢字をあてて表記した『万葉仮名』の理由を考えるなら、これは日本人の言葉の感覚が、もともと「文字」が無かったので、「漢字」を目で読む(視覚から脳に入れて認知する)のではなく、「言葉」は耳から「声(音)」で入れてるものであったからと考えるからです。
 言葉の『音』、“一音一字”、どの音の言葉にどんな漢字を当てはめるかということだけが大切で、どんな表記(漢字)で表すかは重要視しなかったのではないか、そう考えれば【書き言葉(文字)】と【話し言葉(音声)】、その「表記」と「発音」の違いの謎が氷解するのです。   

  この【ん】と【む】の論争に関しては、パート2として、沖縄の言葉から更に考察した【本居宣長vs上田秋成【む】と【ん】の『『呵刈葭(かがいか=あしかりよし)』論争(2)】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/10/vs__43f9.html を書いています。ぜひ、これもお読みください。どうも軍配は上田秋成にあがりそうなのです。
 
 また、【新井白石「漢意(カラゴコロ)」vs本居宣長「やまと心」】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2008/02/vs_b99d.html をお読みくだされば、この論争のきっかけともなった本居宣長の「やまと心」の真意がよく分かると思います。

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