本居宣長vs上田秋成【む】と【ん】 『呵刈葭』論争2
本居宣長と上田秋成の【む】と【ん】をめぐる『呵刈葭(かがいか=あしかりよし)』での論争、その考察第2段です。
「神」は【かむ(m)】と読んだのか、【かん(n)】と読んだのか、本居宣長『呵刈葭(かがいか=あしかりよし)』に書かれている【本居宣長vs上田秋成】の論争http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/10/vs_22f5.html を更に深く考察したいと思い、中央公論社[日本語の世界9巻『沖縄の言葉』]を読みました。
『沖縄の言葉』と言えば、バラザン、結縄文字で有名です。藁を縛って数を記憶した納税のための文字(記号)と言われ、藁を結わえることから「藁算(わらざん)」が「バラザン」と沖縄方言で訛って呼ばれているのだと考えられます。
以前【『沖縄の言葉』外間守善】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/06/post_c6f1.html
ではバラザンのことを調べるだけのために読んだので、その時は【む】と【ん】についての考察はなく、沖縄の3音母音のことなど少し書いただけでした。今回は言語学的な文字や音韻のことではなく、「沖縄語」に関して詳しく調べてみました。
ではバラザンのことを調べるだけのために読んだので、その時は【む】と【ん】についての考察はなく、沖縄の3音母音のことなど少し書いただけでした。今回は言語学的な文字や音韻のことではなく、「沖縄語」に関して詳しく調べてみました。
本居宣長は、『古事記』や『万葉集』などに記された古代の万葉仮名「加牟加是(神風)」という表記を見て、「神」を【かん(n)】とは発音しなかった、「神」は【加牟(かむ)mu】と発音していた、よって古代に「ん【n】」という発音は無かったと言い切っているのです。
それに対し、『雨月物語』上田秋成は、表記は【牟(む)mu】となっているが、それを【ん】と読んでいたのだと言っています。
それに対し、『雨月物語』上田秋成は、表記は【牟(む)mu】となっているが、それを【ん】と読んでいたのだと言っています。
私自身は音便の変化によって、読み方が【む】から【ん】に早い時点で変わったのではないか、と個人的に思っていました。『わたしは』の「は」を【わ】と読むように、表記では「は」と書いてあっても読み方は【わ】という意味では、秋成側とも言えるのですが、そうかといって宣長が間違っているのではなく、むしろ発音の近さ、【mu】と【m】【n】の近似性がそうしたどちらとも取れる発音になったのではないかと考えるのです。
こうした表記と発音の違いに関しても【本居宣長vs上田秋成】の論争のところで書いたので、読んでいただきたいのですが、「牟」と書いて【む】と読んだのか、【ん】と読んだのか、これをもう少し深く考察したいと思い、もう一度『沖縄の言葉』をしっかり目を通し読んでみたのです。
沖縄語で【む】と【ん】がどのようになっているか調べたところ、
「大根」→「でーくに」
根(kon)→(kuni)
【ん】は【に】と読まれています。
では問題の【む】という言葉はどのように読まれているでしょうか?
ここで驚くべきことが明らかになりました。
本を読むなどの「よむ」が「余美」と書かれ、【よむん(yomun)】となっています。
「昔(むかし)」という言葉は→「んかし」と呼ばれているのです。
「む(mu)」は【ん(n)】と読むんですね。
「胸(むmuね)」は→「ん(n)に」、やはり「む(mu)」を【ん(n)】と読んでいます。
ということは「神(かみ)kami」は【かん(kan)】と読んだと考える方が正しいでしょう。
ところで、ここで【む】が【ん】と読まれていたということは分かったのですが、問題は沖縄のこうした発音が、大和言葉が入ってきた後に変わったのか、どうなのかということなのです。
「胸(むね)」と読まれていたのに、【む】が【ん】に変わっていったのか? しかしそう考えるのはあまりに不自然ですよね。
2~3世紀、卑弥呼が魏に使いを遣わしたこと、6~7世紀頃まで中国との交流があったこと、そうした記述が残っていることから考えても、柳田国男の言う『海上の道』を使い、沖縄と本国大和の交流は盛んにあったと考えられます。しかし遣唐使が廃止され、永く日本は中国との交流を止めてしまいます。沖縄は大和本国より遙か離れた南海の孤島となっていくのです。
交流が途絶え、「言葉」はそのまま残ってしまった。
大和本国では【んかし】ではなく【むかし】と「昔」を読むようになり、【んに】ではなく【むね】と「胸」のことを呼ぶようになっても、沖縄では【ん】と読み続けられた。そう考える方が自然なのです。
ということは宣長が「牟」は【ん】と読まれてはおらず【む】と呼ばれていたという主張は間違っていたことになります。反対に「牟」は【ん】と発音されていたという秋成の主張が正しいことになるのです。
とはいえ、ここで断定しては判断を誤るかも知れません。大和の【む】という発音が沖縄で勝手に【ん】に変わっていったという考え方もあり得るかもしれません。
ここで、もう一つ思い出したいのが、音韻のところでも書きましたように、沖縄の母音が【a】【i】【u】の三母音しかなかったことを外間守善氏は書かれていることです。
では、【e】と【o】の発音が無かったという沖縄では、大和で【え】や【お】と言っている言葉をどう発音していたのでしょうか?
本国(大和)で「雨(あめme)」と発音する言葉を琉球では【あみmi】と読む。沖縄の「おきなわokinawa」の「お」を【う】と読んで、【うちなーutina:】と言う。
確かに外間守善氏が書かれているように、沖縄では母音の【e】は【i】に、母音の【o】は【u】に変えられ、読まれているのだ。
i―――――――u
\ /
e o
\ /
a
a
《昔の沖縄語》 《現在の日本語》
うーび(u-bi)
うぉび(uobi) →「帯」(obi)
を び(wobi)
くむ(kumu) →「雲」(kumo)
にぇ(nye) →「根」(ne)
に(ni)
やべら(yabera)→「侍ら(侍る)」(haberu)
こうした言葉郡を見ただけで、これが「大和」→「沖縄」の反対の流れではないことが分かります。
「帯(obi)」という言葉が大和から入ってきて、「うーび(u-bi)」という方言になり、もう一度大和の言葉「帯(obi)」に戻ったとするのは不自然だからです。
「うーび(u-bi)」という古代からの読み方が音便の変化で「帯」という、今現在も使われている言葉の発音になったと考える方が合理的かつ論理的でもあります。
しかしそうしてみると、「神【かむ】(kamu)」と書かれた『古事記』の時代より更に古く「神【かん】(kan)」と読んだ時代があったということなのだろうか。
『古事記』に書かれているのは【かむ】の方である。「加牟加是(神風)」と書かれているからこそ、本居宣長は「牟」は【む】と読まれていたと断言したのだ。
現在「神主」は【かむぬし】ではなく【かんぬし】と読む。【む】と読んだ時代より【ん】と読む方がうんと新しいように思える。
この謎を解くためには、もう少し掘り下げて考えなければならないだろう。
では「神様」という言葉に注目してみよう。
現在この言葉を読む場合「神様」を【かむさま】とは言わない。【かみさま】だ。
もしかしたら「神」「かん(n)」→「かむ(mu)」→「かみ(mi)」という順序が、古い読み方の順、発音の変化の順番と言えるかもしれない。
そうだとするなら、沖縄における「味噌」の「ん(n)ーす)」が「み(mi)そ(so)」になっていった事例と同じで、「ん(n)」から――→「み(mi)」へという音便の変化として説明ができるのだ。
「神【かん】(kan)」が「神【かみ】(kami)」へと変わる移行途中に「神【かむ】(kamu)」という発音があって、それが『古事記』の時代の表記にはまだ残っていたと考えるのはどうだろう?
「神【かん】(kan)」が一番古く、それは「神【かむ】(kamui)」という表記・発音にとても近く、やがて「神【かみ】(kami)」という発音に変わっていった。
こう考えるのが一番自然な移行形態と思えるのです。
いかがなものでしょう哉。そうすれば本居宣長の顔も立つし、上田秋成の顔も立つち、この新説によって、私自身の謎も解けるのですが、・・・?
はて、さて、草場の陰で因縁の両先生はこの「説」に納得してくださるのかどうか? ですね。
To be or not to be,that is the question.
(それが問題だ。) ・・・か、どうだ、か? まあ、いちおう、わたくしは、そのように考えるのです。
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