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2007年9月 1日 (土)

埴谷雄高 『自同律の不快』とは?

 埴谷雄高と言えば『自同律の不快』という言葉に象徴されるだろう。聞き慣れない言葉であるが「自同律」とは論理学で言うところの「同一律」のことだと言われている。
 ではその「同一律」とは何か? 「AはAである」と表す文章式のことである。このことから、埴谷雄高の言う『自同律の不快』とは“「(私は)(私である)」ということが不快”ということを言っているようなのだ。
 しかし、「主辞」である(“私は”)と「賓辞」である(“私である”)が同じであることが一体何故不快なのであろうか?  「(私は)(私である)」からこそ“私”なのであって、それ以外の者であったら人格障害を起こしているとしか考えられない。であるにも関わらず「(私は)(私である)」ことが不快と言う埴谷雄高の言う『自同律の不快』とは何ぞや? 
 統合失調症でない限り、誰しも「(私は)(私である)」ということを前提として生きています。それにも関わらず一体何故埴谷雄高は「(私は)(私である)」ことが不快なのか?  その疑問からこの考察は始まりました。

 ではその前に、詳しく『論理学』について述べてみましょう。

 『論理学』とは、そもそもソクラテス、プラトンの時代の弁論術に端を発します。プラトンの『パイドロス』に書かれたように、当時弁論には勝つための詭弁もあり、そうしたまやかしの議論に勝つためには、一寸の隙もなく論理的に話すことが重要視されたからです。破綻の無い弁論にするためには、論理を明確にすることであり、アリストテレスはそうした師プラトンの弁論術を『論理学』として体系化したのでした。それが有名な『三段論法』です。

 『論理学』とは「前提より帰結する」演繹的な推理の体系であり、logicalな文の組立をするその方法でありました。基本はその命題が成立するのかどうか? 「論理(ロジック)」のための「論理(ロジック)」とも言えます。よく「論理的な」とか、「論理的でない」という言い方をする時、それは話しの道筋が立っているとか、おかしいとかを意味しますよね。あること(命題)が“「真」であるか「偽」であるか”を判定するために論理学は発展したもので、すべての“命題”はシンプルな基本形を持っています。それがアリストテレスの[三段論法]で、基本となる文章の【型】と、組み合わせの【格】が存在します。

【全称肯定型の命題】[A]→すべての(S)は(P)である。 
【全称否定型の命題】[E]→すべての(S)は(P)ではない。
【特称肯定型の命題】[I]→ある(S)は(P)である。
【特称否定型の命題】[O]→ある(S)は(P)でない。
   
      注:(S)=subject 【主辞】
       (P) =predicate【賓辞】


 アリストテレスの[三段論法]はすべてこの文章の型をもって表します。そして[A]や[I」の肯定型の「(××は)(○○である)」という言い方を「同一律」というのです。「同値」という記号「≡」を使いますが、これは数学で言う「=(イコール)」と同じです。
 
 「すべての(人間は)=(動物である)」
 「      (私は)=(人間である)」
 「よって、 (私は)=(動物である)」

  この論法は「(私)」=「(人間である)」ならば、「(人間)」=「(社会的な生き物)」であるとか、「(いつか必ず死ぬ)」とか、人間の属性を持ってきて多用に作ることができます。
 
 (私)≡(人間)=(動物)
          =(社会的な生き物)
          =(いつか必ず死ぬ)
             :
             :
             等々
 
 ちなみに「同一律」の他に論理法則として代表的なものに「矛盾律」「排中律」というものがあります。
 「矛盾律」とは、それは一人の人間が「(私は)(あなたである)」というようなことはあり得ないことから、「(Aであり)(Aでない)ということはあり得ない」ということを言います。「(私が)(私である)」なら「(私が)(私でない)」ということはあり得ないということですね。
 一方「排中律」は、「(Aは)(Bである)か(Bでない)か、そのどちらか」ということを言い、その中間は無いというものです。つまり“シュレディンガーの猫”のパラドックスのように、「(猫は)(生きているか)(生きていないか)のどちらかである。」ということですね。

  ここまでくれば『論理学』で言うところの「同一律」とは、単に肯定型の命題、「(××は)(○○である)」という言い方の論理法則を言っているだけのことだということが分かると思います。
 
 「(私は)」という主辞が示すところの賓辞(私である)は、
 (∀n)=n1,n2,n3,・・・
  
 と、先程書いたように、「(私は)」=(人間である)」という言い方もできるし、埴谷雄高であれば「(私は)=(作家である)」という言い方もできるし、「(私は)=(男である)」「=(老人である)」「=(東京都民である)」「=(夫である)」と、彼の“属性”で言い表すことができるのですね。
 
 さあ、では一体この「同一律」の何が不快だというのでしょうか? 
 
 考えるに、どうやら埴谷雄高は『論理学』的にではなく、ただ単に「(××は)(○○である)」という同値の論理形式の「AはAである」「(私は)(私である)」と言う言い方にのみに着目して使っただけのことで、わざわざそれを『自同律の不快』と言うほどのことではなかったのではないでしょうか。かえって意味不明の言葉となって疑問を持たれてしまうように思うのです。
 
 この対談集の最初の「序詞」として、このような埴谷雄高の言葉が書いてありました。
  
  私とは、何か。
  それは、飛躍によって、或いは、徒歩によって、
  自身以外のものに絶えずなりたいと志向するところの
  不思議な精神である。
      
         ――――『論理と詩との婚姻』より
 
  “自身以外のものに絶えずなりたいと志向する”
  だから彼にとっての重要性は、「(私は)(不断に変わるモノ)」であって、「(ずっと私である)」ということはあり得ない。それは不快だと考えたのかもしれません。それが『ぼくはぼくだというのが不愉快だ』という埴谷雄高の『自同律の不快』なのです。
 また、ドストエフスキーの『白痴』の中に登場するナスターシャという少女のことを何度も書いています。彼女は“物心つかない前に”トーツキイという人間の妾にされてしまう。『この物心つかない前というのが、重大だと思うのですね。』と彼は言う。
 『というのは、ぼく達自身もそうですけれども、物心のつかないうちに思考と感覚を与えられて、それをそのまま生得のものと信じざるをえないから信じてきたのですけれども、考えてみるとナスターシャと同じように物心ついたときにはすでに侵害されていたのです。』と。 
 ここが埴谷雄高の『自同律の不快』の最も核心的な部分を表しているところだと思うのですが、要するに、私たちは“気づいた時”には、もう「(私)」になっていて、最初から「(私が)(私であった)」こと、物心ついた時に「(埴谷雄高は)(埴谷雄高以外の何ものでもなかった)」ことが不快であったということのようなのですね。
 真っ新な紙に新しく(私)を創り上げるのではなく、すでに気づいた時には(私であった)こと、変えられない者であったことが一番の不快であった。故に彼は“自身以外のものに絶えずなりたいと志向する”自己超克を目差す思想に到るのです。
 
 が、しかし、それを言うのに、わざわざ『自同律』という言葉、『論理学』を持ち出す必要はなかったと思います。 
 何故なら、もともと『論理学』の論理式は命題を書き表す形式にすぎず、本来の意味の『自同律』を表す「同一律」とは、単に「(Aは)(Aである)」という肯定命題を書き表すための文章形式(シンタックス)のことを言っているにすぎないからです。
 また「同一律」であれば、「同値≡」で結ばれる彼の属性すべてもそこに含まれるのです。つまりそれは「(私は)≡(昨日の私とは違う今日の私である)」とも書ける文章形式を言うのであって、「(私は)≡(××である)」と書くとき、この(××である)という括弧の中には数限りない変数で書き示していけるものであるからです。
 
 「同一律」という、単なる「論理式」の一つの形式が何故そんなにも不快だったのか、疑問でした。しかし、埴谷雄高がむしろその言葉を『論理学』的には捉えてはおらず、“文学的表現”として使ったのだと一連の発言を読みながら感じました。
 もし『自同律』が不快というのであれば、彼が最も信条とした「(私は)≡(作家である)」ということも不快であるということになってしまいます。けれど彼が言いたかったのは「(私は)(私である)」ところからの“存在を超越する”という命題であって、決して『自同律』が不快なのではなかったはずなのです。
  
  もう一つ、これも大きな謎であるので、書いておきたいことがあります。それは、彼の著書『不合理ゆえに我信ず』という表題についてです。
  これはテルトリアヌスの有名な言葉ですが、この意味はキリスト教社会において、常にキリストの存在に対する疑問があったことによります。
  グノーシス派は【神】と【“人間の子”イエス】の『三位一体説』を認めようとはしませんでした。「グノーシス」とは、ギリシャ哲学以来の「知」を表し、新プラトン主義やピタゴラス派の流れとなるものです。
 宇宙で唯一の絶対神、創造主である【神ヤハウエ(Jahvist)】は一つであるはずだ。というのが「キリスト教」が誕生した当初の大きな論争でした。そもそも人間の子イエスが何故神と同格になるのか? グノーシスのみならず、ユダヤ教も【神】と【キリスト】の二元論に反発、決して【神ヤハウエ(Jahvist)】以外の神を認めようとはしませんでした。「ユダヤ教」を源流としながら、「ユダヤ教」と「キリスト教」が現在まで離反したままであるのは、その一点にあります。
 そうしたキリスト教会からすればグノーシスやユダヤ教などの“異端論者”から何を言われようと、たとえ“不合理であっても私は信ずる”ということを主張したのです。
 しかし、グノーシスを理論で打ち負かすには、何としても“合理性のある理論”を確立せねばなりませんでした。それが【神】と【キリスト】を【聖霊=「神の御言葉」】でつなぐ『三位一体論』です。この【聖霊】の降臨『受肉incarnation』という概念によって、“名実”共に「キリスト」は「神」と“同格”になったのです。
 『そんなことは信じられない』というグノーシスの批判に対して“不合理であっても私は信ずる”という言葉が『不合理ゆえに我信ず』の本来の意味です。
 であるなら、一体どのような意味合いで埴谷雄高はこのような言葉を著書名にしたかということですよね。『自同律』同様、彼はどうも本来の意味を考えもせず、言葉の持つイメージだけで使いたがる傾向にあったのではないでしょうか。
 もちろん、それだからダメだ。というのではありません。彼の使う言葉が仮に本来的な意味を誤って捉えていたとしても、彼が言うところの“存在を超越し”作品に向かう挑戦は大いに評価されるところだろうと思うからです。

 
 

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2007年9月 3日 (月)

『埴谷雄高作品集14 対談 vs高橋和己』

  埴谷雄高を読み解くキーワードは『自同律の不快』の他にもう一つ『虚空』という言葉がある。“存在を超越する”その向こうに、現実界ではない形而上的な(?)精神が浮遊する世界とでも言ったらいいのだろうか。「存在の究極」と「精神の究極」ということを秋山駿と対談しながら語っている。
  実は人間の「意識」の在り様について考えること、それが彼が一番向き合っていたもの、「自己(存在)の本質とは何か」ということではなかったのかと思う。
 
  埴谷雄高は「現実」と「虚空」を区別していないのだ。それはどういうことかと言えば、優れた小説の主人公は現実の世界で普通に暮らしている我々よりも余程リアルな存在感を持つ。埴谷雄高にとってドストエフスキーの『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などの主人公達はドストエフスキーの妄想から生まれた者たちだったとしても、現実と変わらず、いや現実以上に多くの影響を埴谷雄高に与えたのだった。彼らの思索、ドストエフスキーが創り上げた『虚空』の世界にこそ、現実の世界には無い「存在の究極」と「精神の究極」があると埴谷雄高は考えたのだ。
  作家の「妄想」を現実の側に錯覚させてしまうこと。それこそ埴谷雄高が求める“究極の作品”であったろうし、そのために「夢」を重視した。
  本書は対談集であるから多くの人と語っているのだが、『作品集 対談1』の中でも注目したのは、その埴谷雄高の『虚空』世界がよく分かる、高橋和己との対談『夢と想像力』であった。

 埴谷雄高は「夢」と覚醒している時の「意識」を区分しない。「夢」も人間が不断に考え続ける「思考の流れ」の一環として捉えているのだ。彼はそのことに拘り続ける。それは多分埴谷雄高の言う『自同律の不快』に繋がることなのだろうけれど、人の思考は5分と同じことが続かないということがある。
 確かにそうなのだ。私たちの脳内ではめまぐるしくいろいろな事が浮かび、瞬時に消え、また別のことを思いつく。一つの事を考えていても、別の事が頭に浮かび、浮かんでは消え、浮かんでは消え、様々な思いが脳内をよぎっていく。意識は常に同じ所にはとどまってはいない。
 私たちの脳は、一つのことを集中的に考えていても、実は目が目の前にある雑多なモノを見ているし、耳は絶えず周囲から発せられる雑音を聞いている。それらのすべてに対し感覚器官は働いて、脳はそれらを受信しながら、一方で昨日の事や今日の仕事の事、友人の事、頼まれていた事など、絶えず何かしらを四六時中考え続けている。
  
 彼は言う『ぼく達は、白昼はもちろん、夜、夢の中でも考えている。』と。
 「夢」はそうした思考の延長にある。むしろ眠りによって集中力から解き放たれる分、「夢」は自由に文脈を離れる。急に空を飛んでしまったり、逢ったこともない有名人と会話したり、突拍子もない荒唐無稽な出来事に遭遇する。そしてそれこそが「想像力」と同根のものであると埴谷雄高は考えるのだ。
 ネルヴァルが言った『「夢」はもうひとつの現実だ。』という言葉は、そのまま埴谷雄高の言葉でもあったのだ。夢で見たことと現実に体験したことの、それに幾ばくの違いがあろうか? 作家の空想の中でできあがった小説の中の主人公に共感することも、人の生では現実なのだ。いや現実以上の存在感を感じることもある。埴谷雄高はそれこそが芸術であり、小説家としての想像力だと考えた。
 『ぼくは書いてしまえばそれが現実になるだろうと思って、架空を眺めている。』
 『夢のなかには、そうしたものが切りすてられずいっぱいつまっているのです。』
 『夢をある種の欠如だなんてぼくは思わない。むしろ夢のほうが思索の原型なんだというのが、ぼくの考え方なのです。』
 
  夢の荒唐無稽さ、飛翔してゆくイメージ、その不思議な思考こそ「想像力」の原型でもあり、その発展系が「小説」を書くことだと埴谷雄高は考えた。
 対談中何度も『白紙に向かう』という言葉がでてくる。これは真っ新な何もない白い原稿用紙に、現実にはない埴谷雄高が創造したイメージの世界を書き記していくことを言う。「小説」という虚空の世界に、現実よりも生々しい「存在の究極」と「精神の究極」を彼は吹き込みたかったのだろう。
  

  ところで、この対談集のいたるところで埴谷雄高は自身の著書の難解さに触れ、それが『千年後に理解者が現れたら』とか、「精神の系譜」を語っているところでは『役たてば残る』とか、彼と同じ思考がリレーされていくことを望んでいるような発言をしている。
 埴谷雄高が生きている間、彼はある種畏敬を持って存在していた。同調者や崇め敬う者ばかりで、生前の彼を批判しようとする者などいなかった。そういった意味では、誰も『埴谷雄高作品集 対談1』 http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2007/09/post_f3d7.htmで書いたように、単に「論理式」の一表現形式にすぎない「同一律」を『自同律の不快』などと、かえってワケの分からない言葉で表現したりしたことを指摘する者などいなかったし、彼の作品はまさに未来永劫読まれ続けるものと考えられていた。ここで対談している高橋和己の場合でもそうである。誰が彼が亡き後、これほど直ぐに忘れ去られるであろうと想像しただろうか? 
  埴谷雄高も今ではすっかり忘れ去られた作家の一人と言えるかもしれない。そもそも「小説」そのものが読まれなくなったと言われて久しい。一昔も二昔も前なら、自身の「存在を問う」といったような形而上学的な悩みは、若者が必ず一度は考える通過点にあった。まだ若い不安定な精神は、「生きる」という意味、自身の存在の意味を求めたがる。だからこそ、そこに心の内実を吐露する「詩歌」があり、人生を教えてくれる「小説」があった。高橋和己も埴谷雄高の作品も、そんな時代の名残と言えるのかもしれない。けれど、忘れ去られてしまうのは惜しい。
 
 埴谷雄高は真継伸彦との対談でこのように述べています。
 『歴史の記述以上のことを白紙の上に書くということは、ある意味で迷走で、大半の文学者は世界を謬らせる原因である、ともいえますね。しかし、にもかかわらず、また想像力の極点が認識の極点となるような場合があるかもしれない。ぼくは『不可能性の文学』でそういうことをいっていますけれども、二十億年後、あるいは二十億年の二十億倍後、客体の認識にとどまらず、全く新しい主客体の創造が行われれば、それはひたすら想像力の産物なのですね。』と。
 
  「無」から「有」、何も無いところから新しいものを生み出す。その想像力こそ人間が人間である所以と、彼は“人間の創造性”を何よりも信じていた人なのでしょう。

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2007年9月 6日 (木)

『埴谷雄高作品集15 対談vs吉本隆明

 「埴谷雄高vs吉本隆明」と言えば、誰しも雑誌『ananアンアン』から端を発した激しいバトルを思うだろう。あまりに低次元の(?)罵り合いが行われたことで、呆れ果て、それまで持っていた両人へのある種畏敬の念は脆く崩れ去り、二度と回復することはなかったくらい両者にダメージを与えた“論争”とも言えなくない。
  埴谷雄高は、「現代思想界をリードする吉本隆明氏のファッション」と紹介されたその吉本隆明の見識を、資本主義の片棒を担ぐ“滑稽さ”として唾棄するのである。
 もちろん、吉本隆明がコム・デ・ギャルソンを着て『アンアン』に登場しようと、埴谷雄高に身も蓋もなく攻撃される謂われなど無い。しかも埴谷雄高の論戦内容はあまりに前近代的で、高度成長まっただ中、1984年の『アンアン』の読者に対し、まるで『女工哀史』の時代の女性達が読む雑誌か?と思えるような陳腐な内容だったのである。

 埴谷雄高は言う。
 「アンアン」という雑誌は、先進資本主義国である日本の中学や高校出のOL(貴方に判りやすい用語を使えば、中級または下級の女子賃労働者です)を読者対象として、その消費生活のファッション便覧の役割をもつ愉しい雑誌です。

 この“中級または下級の女子賃労働者”という表現は、もちろん吉本隆明の言説を揶揄して嘲笑的に埴谷雄高が使ったのではあるけれど、現実のアンアン・ギャルたちの実像とはかけ離れ過ぎており、ファッション・リーダーとして、むしろ最先端をいく女の子たちが当時の『アンアン』の購買者であったことを考えれば、見当違いも甚だしい論戦となって一般読者は置き去りになっていくのである。
 
  当然売られたケンカは買わねばなるないと、『ぼったくり商品を宣伝する』と非難された吉本隆明が、では埴谷雄高のハードカバーの豪華本(この『作品集』(河出書房出版)も1980年出版であるが、一冊で¥3000!! )『ぼったくりではないのですか?』と皮肉を込め反論している。確かに埴谷雄高は決して自署を頒価な文庫本にはさせなかったと言われています。(中級または下級の賃労働者に対してはあまりに無慈悲?)
 しかし、それにしてもお粗末な“ケンカ”である。仮にも“現代思想界をリードする”と言われた両人が、お互いを『ぼったくり』と罵り合う図は、ただただ読む者を呆れさせ、“現代思想界”そのものがこの時より崩れ去ったと言わざるを得ません。
 これで完全にふたりの時代は終わったのだ。「ポスト・モダン」「ニュー・アカ」と呼ばれる浅田彰や中沢新一が台頭した時代になっていく。このような形で両人が消え去っていったのは残念というほかありません。

  さて、この対談集は、まだそのような論戦が行われなかった二人の蜜月時に行われたものです。
 吉本隆明がいなかったら埴谷雄高がそれほど読まれたか? というほど、吉本隆明が評価した「埴谷雄高」を当時の人が読みました。今でこそ“吉本ばななの父”となって名声は逆転してしまったけれど、一昔前なら、吉本隆明は全共闘世代の“教祖”とまで言われた人で、その教祖的な人が埴谷雄高を評価したのだ。
 恐ろしく難解であることが(ただ単に表現が分かりにくいだけのことであったとしても)当時の人に何か哲学的に思えたのかもしれません。『擬制の終焉』だとか、吉本隆明の本の題名もいささかその気があって、きっと時代がそのような“むやみやたら小難しい理論”“難解な言葉”を好んでいたのでしょう。

  では、当時ふたりは何を語り合っているのか。

  ここでの対談は『意識 革命 宇宙』と題されている。埴谷雄高は一貫して彼の意識、いわゆる彼の終生のテーマである精神の超克について語る。あくまでも現世のことはどうでもよく、彼にとっての大事は『白紙に向かい』『仮象へ向かう想像力』であるからだ。それに対し、吉本隆明は「一遍」だの「時衆」だの「中世の思想」「浄土宗」や「親鸞」を引き合いに出し、埴谷雄高と咬み合わない話しをしている。
 埴谷雄高にとっては俗界を超越し新たな精神史を築くこと、それを「小説」で体現しようとしているのであって、それ以外のことには関心がない。埴谷雄高は自分の考えることも宇宙の精神史の一環の中にあると考えて話しているのだけれど、そのことは吉本隆明にはまったく伝わっていないように思える。吉本隆明は民衆の暮らす地べたに降りたところにこそ実践する思想もあると考えていたからだろう。
  さて、最も注目したのは、埴谷雄高が当時の共産党幹部宮本顕治らがスパイ事件で仲間を殺した事件について語っていることだ。この会談は1975年に行われており、当時すでに70年学生運動は衰退し、各セクト間で凄惨な内ゲバが行われていた時代であったということ。また赤軍派がハイジャックをし北朝鮮に飛び、残された残党が京浜安保共闘と組んで連合赤軍を組織し、榛名山の麓で山岳ベースと称た武闘訓練の際、仲間を残忍にリンチして殺した事件の後であるということ。そういった影響もあってか、『スパイと内ゲバについて』と題して話し合われている。
  辛うじて私刑から逃れた連合赤軍派のメンバーがヤマハの保養所に立てこもり、機動隊と攻防した事件はテレビで逐一放送され大きく話題になり、この時逮捕されたメンバーが語った恐るべき殺人のあらましは『彼女たちの連合赤軍』 大塚英志 文芸春秋 
http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/11/post_3a84.html にも書きましたので、読んでください。
 
  そもそも埴谷雄高の時代の共産主義運動だって、吉本隆明の60年安保の時代だって、70年の連合赤軍事件の首謀者たちだって、元はと言えば社会の偽善・欺瞞・不正、そうしたことに反駁し、ただ純粋に世の中の政治の在り方を変えたいと熱く願った末の運動であったのだ。しかし、それが何故殺人にまで到る「私刑(リンチ)事件」となるのか?
 埴谷雄高の経験した「共産党スパイ事件」の発端は、仲間のある人物を官憲が差し向けたスパイではないかと疑った事から始まっている。確かに警察(公安)はこうした組織の情報を得るために、スパイを差し向けることはよくある。こうした疑惑が出るだけで組織全体が疑心暗鬼になる。確証が無くても、いや確証が無いからこそ、党の幹部としては疑いだけで責め立て、白状させようとしたのだろう。結局死に至らしめたこの事件後、埴谷雄高は転向してゆくのだが、こうした「リンチ事件」はここだけの特殊な話しではない。
 “仲間の粛清”はいつでも行われることなのだ。それは組織がまだ新しく未熟であればあるほど起きやすい。それが合法的な組織であれば除名や除籍をすれば済むことかもしれないのだが、非合法な組織である場合、除名や排斥した者がいつどのように寝返るかもしれないという恐怖心から、抹殺を考える場合が多いのだ。警察への密告を怖れれば怖れるほど、内部での疑心暗鬼は大きくなる。また組織のリーダーが強権的で決して自分の考えと意見を異にする者を許さなかった場合、スターリンがトロッキーの暗殺を企てたように、対立者を亡き者と、粛清を実行する。
 そこにあるのは人間の弱さであり、局面に立つときの人間の一面とも言える。理性ではなくただ「許せない。」という感情だ。
 吉本隆明はこうした「粛清」、共産党であれ、革命組織であれ“反革命分子”と内部で絶滅し合う「内ゲバ」「リンチ」を絶対認めないという話しをしている。
  『その論理が出てくるということは、僕は末期的症状、その象徴だとしか受け取れない、それ以上の意味はつけられない。』と。更に、結局そうした「党派の論理」そのものが『究極的には、やっぱりだめなんじゃないかな、』と言っている。
 これはスパイがいるいないに関わらず、どんな党派であれ内包している「セクト主義」の問題でもある。更に言えば、反対分子を排除するというのは、どんな小さなグループにも起きる問題である。意見を異にする人間が集まれば、反目は当然起こるのだ。そうなると理性では無くなる場合が多い。純粋に思想的な違いと言うより、ただ感情的に「あいつが許せねえ」といった個人的なものになっていく。
 権力者は対立者を排除する。従うか従わないか、選択はそれしかない。しかしそうした排除や抹殺の理論では何も解決できない。組織は維持できずむしろ弱体化し内部から崩れていく。疑いを持ってみれば、党内すべての人をスパイと疑わなければならなくなっていくだろうし、「内ゲバ」で相手を殺し合っているばかりでは真の「革命」から遠のくばかりである。
 ここでの吉本隆明の結論は、そういうことをやっているようじゃ話しにならん、ということで、一方の埴谷雄高は吉本隆明こそ、そういったことを「駄目だ」と睨んでいなければならない『最後の人』だと言って終わっている。
 
 “最後まで「そんなことじゃ駄目だ」と睨んでいる”はずの吉本隆明も、あの『アンアン』の論争以後、登場しなくなって久しい。“中級または下級の賃労働者”は今や海外で賄う世の中になった。今月発売の最新号『anan』特集は「07年あなたが選ぶ 好きな男・嫌いな男」である。
  埴谷雄高が聞いたら激怒しそうな内容と言えるかもしれないですよね。「革命」など隔世のまた隔世。
 

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2007年9月12日 (水)

カント『純粋理性批判』

Photo   埴谷雄高が獄中で読み多大な影響を受けたとあるので、カントの『純粋理性批判』を取り上げてみようと思います。

   初めてカントを読んだ人は、そこに翻訳されている「純粋理性」という言葉や「ア・プリオリ」という言葉の意味に少なからず戸惑うだろう。そもそも「理性」という言葉の前にわざわざ「純粋」と断ってある意味は何なのか? 
    「哲学用語」の常として平素決して使わない用語の多用に戸惑うことが多い。何故か哲学書ともなると殊更難解な言葉に置き換えたがる翻訳者の弊害かもしれないが、何とも解釈しかねる言葉の羅列に悩まされるのだ。その上更に困ったことに、日本の翻訳者は西洋の思想を読み解く場合、キリスト教社会における【神】の圧倒的な影響力、その“存在”に注意を払わず訳している場合が多くあります。
  埴谷雄高が自署の表題にもした『不合理ゆえに我信ず』という言葉の本来的な意味も、それはキリスト教に反駁するグノーシス派の『そんなことは信じられない』という批判に対して、テリトリアヌスが、“不合理であっても私は信ずる”と言った言葉です。(これは埴谷雄高 『自同律の不快』とは?http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2007/09/post_f3d7.html のところで詳しく書きましたので読んでください。)

 
  翻訳とその問題点に関しては以前【ウィリアム・ブレイクの詩 :::キリスト教的なもの:::】にも書きましたが、再掲します。

  カントは『純粋理性批判』の中で、「形而上学では、ア・プリオリな認識、つまり対象が我々に与えられる前に対象について何事かを決定するような認識の可能性が要求されている」と書く。
 あらゆるものは最初から神によって用意されており、物事の真理、知や美といったもの、数学の原理、宇宙の摂理も、人間は“直感”によって引き出していくものと考えられている。ソクラテスは“想起”と言った。しかし、「ア・プリオリ」に神が創り賜うたものという認識が無い私たちには、この「先天的」に“在る”という言葉の意味そのものが理解しがたい。外国の書物、翻訳物を読んでいると、どこかしこでこういったことを経験するのだ。


 「ア・プリオリ(a priori)」と言う言葉は、日本では“先天的に”とか“生得的に”と訳されることが多い。しかしそれは日本語で言う「生まれつき」「元からある」というそのままの意味とは違う。“先天的に【神】から与えられた”という意味である。西洋の思想はキリスト教精神と密接に繋がり、そこには常に【人間】と【神】との関係があることを忘れてはなりません。


 (再び我がブログ【ウィリアム・ブレイクの詩 :::キリスト教的なもの:::】から抜粋。)

  プラトンの『テアイテトス』では、善なるもの、美なるもの、知なるもの、その究極は『より神に近づくこと』とある。神が創造主で“絶対”であるのだから、その神の掟を破ることは許されない。善悪の判断もそこにある。だがキリスト教的価値観、下部構造で物事を語られても、キリスト教徒でもない者にとっては実感しにくい概念だ。だから気づかないまま通り過ぎるのか、翻意としては正しいのだろうが、翻訳者は大元の根本原理であるものを置き去りにして、ほとんどは語彙のそのままの意味で訳している。だから『神』という存在や『キリスト教』の教義・倫理観で翻訳されていなければならないところが無視され、不明な言葉に置き換えられてしまう結果になっている。こうした西欧の宗教的背景を考えない翻訳では重大なことを見逃すように思うのだ。

  では、そのことを踏まえた上で、埴谷雄高の言う「存在の究極」と「精神の究極」を考えてみましょう。ここで埴谷雄高は単に“高次の精神”という意味でその“絶対精神”である「存在の究極」と「精神の究極」という言葉を使っています。けれど先程述べたように、カントが意味するところの“精神の究極”とは【神】の存在を言い、だからこそ「ア・プリオリ」なのである。
 
 『存在するかぎりの存在 το ον η ον(ト・オン・ヘー・オン)』、この『ontorogia』とは、ハイデガーが『存在と時間』で著した“zein”、ハムレットが悩む「to be or not to be」の“be”、「どう在るべきか」の“在る”でもあります。
  アリストテレスよりこのかた、このすべての「在る」というキーワード、これが西洋哲学の根源思想とも言っていいでしょう。 もちろんこれは人間の根本の“存在”を問うものでありますが、もう一つ西洋思想を学ぶ上で絶対忘れてはならない概念が“神の存在”です。「形而上学μετα φυσικα(metaphysics)」という時、それは“形より上のもの” 即ち“神の存在学”でもあるのですね。

 “最高位に在る【神】という概念”、このことを置いて西洋思想は語ることができません。しかし日本の翻訳者のほとんどは、そのような解釈をしておらず、埴谷雄高も刑務所の中でカントを読み、“絶対精神の高み”“理性の超越”を意味するものが【神の精神】とは考えもしなかったのではないでしょうか。
 英語の表現で[commiment to excellence]という言葉があります。日本人はこれを高次の精神性に向かう意味に解釈しがちですが、努力目標のように自己を高める意味の言葉ではありません。よく考えてみれば分かるように、[commit]と言う言葉は【委ねる】という意味です。高い目標に向かうのに、何故それが【委ねる】という言葉になるのか日本人なら訝しく思うところですが、最高位に【神】がいるからこそ、そこに[commit]するのです。
  埴谷雄高ばかりではなく、「形而上学(metaphysics)」と言う言葉も単に哲学的な意味に捉えている人の方が多いのではないかと思います。
   
  カントが最も重要と考えたのは、「魂の不死」と「神の存在」、「自由」という命題でした。物質はそこに“在る”ことによって、その存在を実証できます。「1+1=2」という数学の理論もそうです。それは世界がどのようになろうと、誰が考えても正しい「解」というものが出てきます。数学の世界は理路整然、理論立っていて、論理の破綻は全く無いのです。
 物質界の現象として眼前に在るものは、そのままで認知でき、敢えてその存在を証明する必要はありません。目の前に在るものは、そのままで実体として見ることができます。しかし【神】の存在はどうでしょう。“在る”と言っても実証できない。しかしカントは考えます。“無い”ということもまた証明不可能なのだと。

 カントがこの『純粋理性批判』を書いた18世紀はガリレイからニュートンへと近代科学が発展した時期でもありました。【神】は不動で天上に在り、宇宙全体を司るものでありました。しかしガリレイの「地動説」やニュートンの「万有引力の法則」など、自然の摂理は「神が創り賜うた」と考えられた世界をコペルニクス的に反転させる危険を持つものでもありました。科学的な実証主義の台頭はそれまで絶対であった【神】の存在も危うくし始めたのですね。
 実際カント以後、フォイエルバッハは神が人間を創造したのではなく、「人間が神を作り、投影したもの」だと断言します。
 このような時代背景にあって、カントは「形而上学」は経験的に認知したり現象として唯物的に捉えられるものではないとしても、「理性」とはその現象の限界を超え、我々が経験によって得る「知識」の外にア・プリオリ(a priori)に在ると考えます。
 観念の世界は経験的な知識のみで作られるものではありません。カントは“超越的認識”という言葉で語っておりますが、デカルトの言葉『我思う、ゆえに我在り』と同じように、カントも、人間が【神】というものを“考える”のだから“在る”と言ってもいいと言う認識をしています。
 しかし、これまでの「形而上学」では科学的な実証主義者たちが否定する【神】の存在を証明することはできません。だからこそ“思索が現象の限界を超えて形而上に「超越的認識」が可能”という、「魂の不死」と「神の存在」、「自由」という命題をいかに論証できるか、それがカントの課題でもあり、『不合理ゆえに我信ず』と言っている“純粋理性派”への批判でもありました。
  
  プラトンは完全で絶対の永遠の真理として「イデア界」を「現実界」の上に置きました。その形而上の“純粋理性”を批判しているのだから、カントは【神】の存在を否定したと考える向きもあるかもしれませんが、そうではありません。むしろ自然科学や数学と違い、“存在”を“実証し得ない”という『形而上学』の悩ましき問題を止揚しなければダメだと言っているのです。それが、本書の『純粋理性批判』という題の意味です。 
  もちろん私たちの思考は決して経験的な知識ばかりによるのではりません。「善」とか「美」とか、私たちが心の中に持っている美徳のようなもの、カントの言う超越的な「理性」と言えるかもしれません。それはギリシャの哲学者たちが求め続けた、より神に近づき自分自身を高めたいと願う[commiment to excellence]の精神であり、それこそが人間として求められる最高の「徳」でもありました。
  埴谷雄高はそれを精神を高次に高め“自己の存在を超越する”と解釈。彼自身の命題にしたのでしょう。
 
  さて、カントが到達したのは【神】の「存在」が証明できないように、「存在しない」も証明できない。同時に言い得る「二律背反の命題(アンチノミー)」という論理上の形式でした。
  カントの時代、【神】は絶対の存在でした。それを否定するなど考えもしなかったことでしょう。ダーウインは『進化論』を発表する前、自説が正しいにしてもそれが創造主を否定することになるかもしれないと怖れ、ノイローゼなったほどです。ですからカントが頑強に【神】の存在に拘ることは致し方の無いことでもあったのですね。
  この二律背反の命題とは、埴谷雄高 『自同律の不快』とは? でも書いた、一人の人間が「(私は)(あなたである)」というようなことはあり得ないことから、「(Aであり)(Aでない)ということはあり得ない」とする『矛盾律』を、カントが「(Aであり)(Aでない)ということもあり得る」と、完全な矛盾を同時に並び立たせる論理にしたのです。
 例えば、【魂の不死】や【神】【自由】という問題は「在る」と証明できないとしても、「無い」という存在証明もできない。だから「無いと言える」なら、「在るとも言える」というものです。
 
  
 「(宇宙は有限と言える)(有限でない)とも言える)」
 「(世界は単純なものからできている)(単純とは言えない複雑なものでできている)
とも言える」
 「(自由は存在する)(自由は存在しない)とも言える)」
 

 「有限」と言う場合、何を境にするかという概念上の問題になります。銀河系を「宇宙」と限定するならば、それは「有限」ということいなりましょうが、もっと果ての宇宙を想定すれば、そこは「無限」に広がっているものかもしれない。
 「アトム」を最小物質とした古代ギリシャ哲学者からすれば、物質は単純な元素で組み合わさっていたかもしれませんが、「量子力学」が発達した現在ではその複雑怪奇な現象をまだ解明できてはいません。
 「自由」という問題もそうです。何をもって自由と言うのか。私の行動はすべてが自由というわけではありません。社会のルール、交通ルール、法律、道徳、何かしらの柵(しがらみ)を持って生活をしています。完全な「自由」というものではありません。何らかの制約を受けているのですね。とはいえ「個人の自由」は憲法でも保証されています。
  つまりカントが言うように、「(自由は存在する)(自由は存在しない)とも言える」ということになるのです。

  このように、【神】のみではなく「二律背反」の命題は数多いのだと、本来アリストテレスが考えた『論理学』では「矛盾律」として退けられた「(Aであり)(Aでない)」という矛盾命題を、カントはどちらも言い得るという理論で展開していきます。
 『純粋理性批判』の中で、カントは自然科学や数学など近代がもたらした実証的な学問の経験的認識のみを偏重する姿勢を批判し、その一方で、【神】や【存在】そのものを問う「形而上学」が何も示し得ぬ学問であることを批判、そこを超越しなければならないと考えました。「イデア界」が「現実界」の上、“形より上のもの”と力説するだけでは何の証明にもならないと考えたのです。
 後にヴィトゲンシュタインが「示し得ないもの」は「語り得ぬもの」として排斥し、『語り得ぬことについては沈黙しなければならない』と述べたのは、まさにカントの『純粋理性批判』への批判とも言えるのかもしれません。こういったことはどれだけ議論しても答えがでるものではないし、そうしたことをカタルこと自体が論理的ではないと考えたのですね。
 
 とはいえ、コペルニクスがそれまでの演繹的思索ではなく、帰納法的方法で天体の動きを導き出したように、カントは理論的な弁別による批判によって、あるひとつの哲学の形を作りました。“理性をもって経験の限界を超える”、そこに新しい哲学の形を構築しようとしたのです。
  カントは思弁の自由は常に自分の限界を乗り越えられると考えました。「理性」こそが自らを自由にするものと考えたのです。
  思索や人間の認知そのものが経験のみで知り得るものではありません。ア・プリオリに私たちは“考える”ということを知っている。つまり唯物論的実証主義の科学だけですべてが語られるわけではありません。「私」と「世界」という場合、「世界」は私たちの認識の中にあるとも言えるのです。
 そして、それこそが埴谷雄高が求めた“純粋精神”“形より上のもの”「存在の究極」と「精神の究極」であったとも言えるですね。 
 
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2007年9月15日 (土)

ヘーゲル 『歴史哲学講義』

Photo   以前『ヘーゲルにみる西洋の「知」』として『歴史哲学講義』をこのブログで取り上げたことがありました。今回カントの『純粋理性批判』を取り上げたので、新にこちらに移し書き直してみました。  
  ヘーゲルはカントの「(Aである)(Aでない)」という二律背反の矛盾命題を「弁証法」として用い、「絶対精神」へ止揚してゆく方法としました。ある事象を問うとして、「(Aである)」の反証も行い、「(Aでない)」の反証も行う。つまりカントの方法的な批判という形に倣い、ヘーゲルもそれを哲学の思弁の形にしていったのですね。
 

   さて、西洋の「知」が、キリスト教精神を抜きに語れないことは、何度も書いてきました。『歴史哲学講義』に書かれたヘーゲルの歴史観も同じです。彼は「事実そのままの歴史」ではなく、「反省を加えた歴史」でもない「“哲学的”な歴史」というものを著すと述べていますが、それは一体どういうものであるかと言えば、“理性”によって表されるモノ、簡単に言えば人間の“認識の歴史”、精神世界の歩みとして捉えることが「哲学的な歴史」と言っているのです。
 ここで間違えていけないのは、【キリスト教の歴史 西洋の精神】でも書きましたが、プラトンが「徳」を説き、アリストテレスが「国家論」を書き、デカルトが「二元論」を、ハイデガーが「世界」を語る時も、常に背景にあったのは人間が到達すべき精神の至高にある【神】の存在でした。
 西洋で真理とか理性を言うとき、それは当然のことのように【神】による形而上の“純粋理性”であり、“絶対精神”であるということを忘れてはなりません。現象的な世界を「外的概念」「理念の他在」と言うのも、【神】の理念の“外側”に表出されたものが自然界とみなしているからで、人間の精神もまた同じと考えるのです。
 『神の摂理とは、世界の絶対的かつ理想的な究極目的を実現する全能の智恵だからです。』とヘーゲルは言っています。
 
  そこへ到達してゆく方法として、ヘーゲルは「弁証法」考えました。それは先程書きましたように、ある事柄を肯定するにせよ否定するにせよ、一旦は二律背反の矛盾を立て、それを方法的に批判してゆく形で止揚してゆくというものでした。

――――――――――――――――――

   (二律背反の命題)
 理 [定位」「反定位」
 性   \ /
 の    止揚
 獲    ↓
 得  「総合定位」
 の    ↓
 過  
 程   / \
 ∥ [定位」「反定位」
 弁   \ /
 証    止揚
 法    ↓     
    「総合定位」
      ↓
      :
      :
   (最終到達地点)
    【絶対精神】
――――――――――――――――――
  このくり返しによって「知覚」から「悟性」へ、「悟性」から「理性」へ、低次から高次へと、より【神】に近づいていくこと、それがヘーゲルの曰んとする弁証法、「精神現象学」なのです。
 ヘーゲルが考えた「理性」の獲得は、赤ちゃんが学習しながら大人になっていくように、人間は二項対立の矛盾命題に立ち向かい、それを止揚し、更に高い地平に登りつめていくというもので、究極に在る“絶対精神”へ向かって階段を上っていく[step by step]の考え方でした。

  「キリスト教」が生まれるや否や、グノーシス派やユダヤ教から“不合理で信じられないこと”とされ、たとえイエスが受肉し救世主として【神】と同格になったと『三位一体説』を教会が主張しようと、それが救世主の存在の根本の疑念を晴らせたわけではありません。まして近代科学の時代に、“直感”や“神の啓示”によって人間の精神の在り方を説明するだけではあまりに非科学的と言わざるを得ないでしょう。形而上の「哲学」も科学と同等に語れるものにする必要がありました。カントの『純粋理性批判』が曰んとしていたのもそこでした。
 真理として現実に存在するためには合理的に納得できる学問として大系づけなければなりません。現象として存在しないもの、実証しえないものを如何に“在る”と明言できるのか、ヘーゲルはまず本書を書くにあたって、歴史をどう捉え記述するかを序文に書きました。それはどこまでも慎重に論理的に記すということなのですね。
 
  『歴史哲学講義』は先ず「言葉」の説明から始めるのです。『哲学的』とは何か、『理性』とは何か、『自由』とは何か、「言葉」の定義から入ります。あくまでも理論的に詰めていくにはワキを甘くさせない。『歴史における理性とは何か』を説明するのに、それは『精神の自由である』と言いながら、先ずは『精神』とは何かを説明するという具合です。『自由』を語る場合は、『自由』という意識が初めて登場してくるるギリシャ哲学まで遡って語るのです。古代ギリシャの都市国家、「市民」が持ち得た自由という意識、しかしそれは特定の人間だけの特権、自由であったことを語っていきます。

 『奴隷に 自由は無い』
 『ギリシャには 奴隷がいた。』
 『よって、ギリシャに自由は無い。』
  
  さて、形式論理学における「三段論法」はアリストテレスの昔より論理を破綻無く表す文章形式でした。一つ一つ、曖昧さを残さないで理論を構築していく。ヘーゲルは自論の展開に論理学を用います。
 論理式は言っている内容が正しいかどうかということではないのです。ギリシャの市民にとって「自由」は在ったと言えるでしょう。奴隷に自由が無かったとして、ギリシャの「都市国家」に自由が無かったとは言えないのです。論理学は内容の真否を問いません、シンタックス的に正しく、整合性を持った論理であるか、破綻していないかなのです。 
 ヘーゲルが論破したかったのは、彼の大いなる偏見でもあります。彼の言う『自由』は「キリスト教徒」、しかもゲルマン民族のみが所有する『自由』なのであって、それ以外の、ユダヤ教徒も、まして東洋人の我々は“個人としての小さい自由を知っているのみだ”と批判するのです。
 
  偉大なるゲルマン民族のみが『自由』を獲得した民であり、それを除き、【神】の光の射さない暗黒の東洋は蛮族という認識!! このヘーゲルの歴史観は一貫しており、しかし、これが西洋のものの見方と考えてもいいのでしょう。特にキリスト教社会では、キリスト教徒以外の国や民族を文明国とは認めておらず、異端、異教徒の地には、“自立した自由な精神”、“理性”も“真理”もない後進国という位置づけ、認識なのです。人間として同等に扱われてはおりません。
 ゲルマン民族の誇り、優位性というものは、ナチスドイツの特権だったわけではなく、ユダヤ人排斥も含め、アングロ・サクソンの根底にある選民意識と言った方がいいのでしょう。歴史を考える上で、それも忘れない方がいいです。

  『自由』という概念で注目するのは、個人の「自由」が重視されているわけではないということ。国家、「共同体の自由」と「主観である自由」は区別されていて、国家として統制された規律、法の元での自由、【神】の僕としての自由、国に忠誠を誓うことで得る自由ということが語られる。
 つまり束縛のないフリーダム、[free]な状態が『自由』なのではなく、意志的に勝ち取った[liberty]こそが真の『自由』なのだ。『自由の女神』は[Statue of free]ではなく、[Statue of liberty]なのですね。
  ところで、その「国家の自由」を語りながら、俄然ヘーゲルは東洋批判を始めるのです。東洋、それは主に中国を指すのですが、国の規範が「儒教」のように厳然たる「法」の精神ではないことに対し、『そのような主観が国家法のようになっている』と驚きを持って指摘しています。
  
  ヘーゲルの論法でいけば、
 『(文明国)には(神の下の法の精神)がある』
 『(アジア)には(神がいない)』
 『よって(アジア)は(野蛮国)である』
 
  キリスト教社会では、そもそも「神」と「民」は契約関係ですから、「国」も「国民」との契約という考えがあるのでしょう。国民の『自由』を保障するモノが『法』なのですね。よく西洋は訴訟社会とも言いますが、ひとつひとつを曖昧にしない契約社会の元はここにあるとも言えるかもしれません。 『和をもって貴しとなす』といった十七条の憲法など、彼らからすれば、何をや曰んか、でしょう。だからといって“蛮族”と決めつけられても、と思います。
 しかし、一事が万事、『歴史哲学講義』で展開されているのは、キリスト教徒、特に同じキリスト教徒であっても、アングロ・サクソン、ゲルマン民族のみが選ばれた民であって他は含まれていないのです。
 ヘーゲルがこの『歴史哲学講義』で結論付けるのは、ゲルマンの誇り高き精神が、『理性』によって『自由』を獲得し、規律ある『法』の下に国家を形成、その精神世界の歩みを捉えることが「哲学的な歴史」であると言っているのですね。
  驚くべきアジアへの偏見、異教徒への排他主義、それは今日まで続いている中東戦争、イスラム世界への攻撃に顕著に現れているものでもあります。世界の警察を標榜し、グローバリズムを唱う、こうした根底にあるのは、まさにこのヘーゲルに見る“歴史観”とも言えるでしょう。
 
 

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2007年9月27日 (木)

:英文学とその宗教的背景:

  『英文学を学ぶ人のために』(世界思想社)という本があります。表題は『英文学』となっていますが、英米におけるキリスト教、とりわけ「プロテスタント」に注目して見ていかないと、英米の文化は語ることができません。本書には文学とキリスト教の関わりが書かれていますので、紹介していきます。

  その前に、まず英国の文化を考える上で重要なのは、他の欧米のカトリックの国々とは違い、イギリスは非常に特殊な宗教形態を持っていたというということです。
 そもそも、イギリスと一口に言っても、アイルランド、スコットランドなども含めた文化、伝承の系譜を考えていかなければなりません。ケルト的な意味合いが大変深く、幻想文学の特徴を背景に宗教革命によるカトリックとプロテスタントの対立、更に清教徒革命と、同じキリスト教文化でも多くの宗教的変遷をしてきた国と言えましょうか。
 日本でも「天下分け目の関ヶ原」と言って戦国時代から徳川に移行する1600年代というのは、歴史の大きな転換期でした。同じように16世紀ヨーロッパにおける宗教改革は大きな歴史的事件と言っていいでしょう。絶大な富と権力を掌握した者は、たとえ教会であろうと堕落するものなのですね。ローマ カトリックに対するルターの改革運動もそうした教会の腐敗した土壌から端を発します。
 カトリックは今もそうですが離婚を認めていません。イギリスが特殊であったのは、ヘンリー8世が自らの離婚問題のために教皇と対立して勝手に「イギリス国教会」を設立してしまったことでしょうか。1534年のことです。
 もう一つ、イギリスのみの特殊事情として17世紀の清教徒(ピューリタン)革命があります。市民革命は王を倒し共和制を布きますが、その後王政復古、革命の中心となった清教徒たちは新天地を求めメイフラワー号に乗ってアメリカへと移住します。
 アメリカ建国はイギリスに渡ったこれらの人々によって新に創られた国です。ですからケネディ大統領が誕生したとき、アイルランド系のカトリックの大統領が誕生したということで話題になったのですが、アメリカはWASP(White Anglo-Saxon Protestant)の国だからなのですね。ケネディのようにカトリック信者はイギリス本国でもアメリカでも主流派ではないのです。

  さて、以上のことを踏まえた上で、英米文化、文学というものを考えていきましょう。
 注目すべきは『聖書』が初めて英語で書かれ汎用本となったのは『欽定英訳聖書』(1611)ができてからと言われています。これ以降現在使われている「英語」も確立するのです。それまで公用語というか学術語はすべてラテン語でした。「書く」ということ「読む」ということ、どちらも庶民にはほど遠いものだったと言えるでしょう。
 ルネサンスの三大発明と言われる活版印刷技術によって印刷されるまで「書物」はすべて書写、書き写していたのですね。世界一を誇ったという古代アレキサンドリアの図書館の蔵書もすべて人の手で書写された貴重なものであったわけです。ですから古代より16世紀までの永き間、ヨーロッパキリスト教の社会に於いて『聖書』を含め「本」は庶民にはとうてい手に入らぬもの、目に触れぬものであったと言えるでしょう。その代わりが賛美歌や宗教劇があり、教会のキリスト像マリア像、壁画や絵画など“目に見える”形での宗教イコンが発達したのですね。 
 日本でも『古事記』、アイヌ『ユーカラ』に見る神話の伝承、ギリシャではホメロスの一大歴史叙情詩『オデッセイア』など、物語化してゆくことで記憶と想起、再生を繰り返し、未来に伝えていく口伝という方法がありました。旧約の『創世記』やキリスト生誕の物語、これらも口伝で語られていたのです。
 
  日本に「お神楽」があったように、最初は神に捧げる祝詞のように神前で詠いあげるのが「コーラス」でした。もともとギリシャでは円形の野外劇場で少年が歌うことが[choros]で、[hellas=ギリシャ]、その“Helleo”を称える歌が[chorus(コーラス)]だったのです。興味深いことに世界中を見回しても、人類のまず最初の芸術活動は歌や踊りや演劇など、「神」との関わりから誕生しています。
 活字文学以前の文芸という形態は「詩歌」や「演劇」に始まり、一方、ケルト民話のように庶民の伝承から「神話」が誕生し、「物語(小説)」は始まっていきます。やがてコーラスも「神」のみに捧げられるのではなく、歴史的な叙事詩を歌い、自らの体験や感情を表現するものとなっていきます。「演劇」も宗教劇のみではなく、シェークスピアなどに代表される商業演劇に発展、グローブ座のように独自の劇場も持つようになります。16世紀以降は「演劇」が娯楽としての要素を強めていくのですね。
 「猿楽」が「能」になり、日本でも出雲の阿国などの出現で「踊り」が独自の芸能の形態を持ち、それがやがて歌舞伎のように独立した芝居という形になっていくのが室町以降ということを考えると、日本も西洋も「中世」というのが時代の大きな分岐点となっているのだということが分かります。これは文化人類的に見ても興味深いことですが、この時代になって人口増加と共に社会の基盤ができあがり政治経済文化も成熟してきたことが考えられるでしょうか。

  では本題の『英文学を学ぶ人のために』に入っていきましょう。本書は様々な単元に分かれてそれぞれの筆者の方が書いておられるのですが、イギリス国内における「英語」の位置づけに関しても書いてあります。それはヨーロッパの各国に言えることですけれど、イギリスも征服者によって言語が変えられてきた歴史があるのですね。
  ヨーロッパの常識として、ラテン語は教会や学術面での国際共用語、フランス語は王族貴族社会の公用語、そして一般日常話されている言葉として各国の国語があったと考えるとよいでしょう。イギリスにおける「英語」もそういったものであったわけです。
  『「神の豊饒」14世紀の文学』(斉藤勇)には、15世紀のイギリス文学としてマロリーの『アーサー王の死』が取り上げられています。アーサー王といえば円卓の騎士、イギリス的であると同時にケルト的であるこの物語、斉藤氏はこのように書いています。
 『ケルトの古伝承がノルマン征服を機によみがえり、イギリスの国民文学になりおおせたのである。』 
  『欽定英訳聖書』とほぼ同時期にオックスフォード大学では『辞書』が編纂されます。「英語」による『聖書』と『辞書』。これは国内における「国語」の確立を意味しているだけではありません、「国家」としての完成も意味します。イギリスが世界の覇者としてスペインの無敵艦隊を破るのもこうした時期なのです。

  『「神の豊饒」14世紀の文学』で斉藤氏は『ガウェイン卿』という面白い本を紹介されています。これもアーサー伝説を下敷きにした物語なのだそうですが、簡単に言えば、「騎士の試練の物語」と言ったらいいでしょうか。実はその試練はガウェインを試すものであったということなのだそうですが、さあ、考えてみましょう。この“試す”ということ。旧約聖書にはアブラハムが息子イサクを生贄として捧げるよう「神」から言われたことが書いてあります。アブラハムは「神」の言われるとおり息子イサクを祭壇に縛りつけ殺そうとするのですが、これはアブラハムの信心がどれほどかを「神」が試したのですね。
 神「ヤハウエ」は「人を“試す”神」なのです。アブラハムの信仰が真実であると分かると子々孫々祝福を与えるというものであり、それは「神」と「人間」の契約でもあるのですね。完全なる「give-and-take」なのです。
 日本の民話にも「恩返し」という話しは多いのですが、これは必ずお返ししなければ“祝福”されないという厳密な契約ではありません。人情の機微として助けられた者がお返しをする。小さな善行が報われるというものです。約束不履行が「罰」になるという厳しい掟ではないのですね。そういったところがユダヤやキリスト教の「神」と日本の神・仏との決定的に違うところと考えていいでしょう。いつも“試されている”というのがキリスト教における「神」との関係であり、主従の関係でもあるということです。日本の儒教的な忠孝精神とは大分ニュアンスが違いますね。
  
  「神」との契約を守らなければどうなるのか? →「地獄」に落ちる。では人間の「罪」とは何かと言えば、映画『セブン』で有名になったように「七つの大罪」があります。キリスト教は大変禁欲的な宗教と言えるのですが、特にプロテスタントはカトリック教会の堕落と腐敗を批判したところから始まっていますから、清貧、禁欲が美徳なのですね。
 強欲であることは「悪」なので、ビル・ゲイツが多額の財産を寄付するように、財を成したものは盛んに寄付をします。さて、こうした清貧、禁欲の宗教的背景から面白いことが分かります。『ヴェニスの商人』のように、財を成すユダヤ人は「悪人」として登場するということです。 
 「悪」は蓄財だけではありません。快楽もまた「悪」なのですね。性も厳しく戒める。そこで『大学才人とシェークスピア』(金城盛紀)には、ゲーテの『ファウスト』のような話しが出てきます。どうやら「知のために悪魔に魂を売り渡す」というのはドイツの伝説にあるらしく、ゲーテのオリジナルではなさそうなのですが、『フォースタス博士の悲劇』という物語が紹介されています。
 ちなみに“「知」に魂を売り渡す”とは、「グノーシス(ギリシャの「知」」)に魂を売り渡すということであり、キリスト教からしたら“異端”ということです。
 『魔術の達人は神に近い』
 フォースタス博士はそう考え、メフィストフェレスと契約をするのですが、ガリレイが「地動説」で異端審問にかけられたように、この時代「近代科学」も魔術と同一視されていたのですね。「知」を探ると言うこと自体が「天地創造の神」に逆らうことであったわけなのです。ただ「知」を探求する人々にとっては、たとえ“悪魔”に魂を売っても「真実」を知りたいという科学への希求があったのでしょう。
 
 ところで、フォースタス博士は科学的な知的好奇心だけではありませんでした。性的な欲求、欲情する心を抑えることができなかったのですね。これはユダヤ教でもキリスト教社会でも同じですが性への極端な禁忌。フロイトが若い女性のヒステリーと性的抑圧を精神分析で解き明かしたのも、こうした性に対する抑圧社会が根底にあったからと考えれば理解しやすいですね。 
 性行為は子作りのためのものであって「快楽」のためではない。子作りではない性行為は「悪」なのです。まして“種を結ばない”男性同士(女性同士も同じく)の同性愛は「罪」であるし、一人の女性と神の前で結婚を誓うのであるから決して離婚も許されない。『汝姦淫するなかれ』なのですね。
 けれど、性欲というものは自然に起きるものですし、健全な男子であれば“地獄を恐れず、快楽にふけりたい”と戒律厳しい時代であったとしても思うものなのでしょう。またそうした強い性衝動がなければ人類はとっくに滅びていたことでしょう。
 さて、フォースタス博士はどうなったのか? 題名に『悲劇』とついているように、快楽に身を任せたフォースタス博士は『家畜同然にまで成り下がった』とあります。
 『古事記』が国産みとして伊邪那岐と伊邪那美の性行為から始まり、『源氏物語』のように「色」による男女の結びを文学として風雅に描いた日本。好色は決して非難されたりせず、『好色一代男』など色町での遊びは男の甲斐性として描かれるのとは大違いですね。日本では「お小姓制度」というものまでありました。性に関して言えばかなり鷹揚、規制のないゆるい社会であったと言えます。
 対して、あまりに厳しい性への抑圧は人間が本来持つ自然な欲望をも断罪するがゆえに、個人を苦しめるものでもあったのです。敬虔で貞淑であることが美徳とされた当時の女性達は性を悪徳と捉え、性的に解放されることはありませんでした。罪悪と感じたからですね。
 
  D・H・ロレンスが『チャタレー夫人の恋人』を書いた背景にはそうした「禁欲こそ美徳」といったキリスト教社会の「性」に対する考えがあり、そのアンチ・テーゼとして書かれたものでした。ロレンスは単に性描写を大胆に取り入れた猥褻小説を書こうとしたのではありません。本来もっと自然であるはずの人間の営みが厳しく弾劾され、抑圧され隠蔽されなければならない疑問、そこに一石を投げかけた問題作であったのです。それは敬虔なキリスト教徒として育てられた彼自身の悩みでもあったからですね。彼の『息子と恋人』にも、恋人同士の性に対するギクシャクした懊悩が描かれていますが、当時の人々の性道徳観に、キリスト教社会の影が色濃く落ちていたということです。
 ロレンス自身はイギリス人ではないプロシアの貴族の血をひく性的に解放された人妻に出会い、そこで初めて精神と肉体の合一の“罪の意識”からも解放され、彼自身の“自由”を獲得したと言えるでしょうか。
 
 人間は常に誤りを犯し、罪深く、だからこそ、『王党派と清教徒の抗争の時代』(藤井治彦)にはミルトンの『失楽園(楽園喪失)』に書かれている言葉として、『神の子キリストは、たとえ人間が誤った判断をして神に背くことがあろうとも、自分が犠牲となって人間の罪を贖おうと約束する』とあるのです。
 日本では「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」とか、悪いことをすれば「罰」という報いがくるという教えは受けますが、「人間」であることが最初から「罪」であるというようなことはありません。しかし、『人間を救うのは理性ではなく、神の恵みである』という思想がキリスト教の本質であり、反対に言えば神の恵み「恩寵」によってしか救われないということでもあります。
 
  もちろんD・H・ロレンスのように新しい価値観に目覚める機運は科学の発達と共に生まれてきます。『新古典主義と理性の文学』(山田利秋)には『コペルニクス的転回をみた世界観の激変は、古い秩序意識を崩壊させ、ヨーロッパ人の精神的基盤としてのキリスト教的価値観に動揺を与えた。』とあります。
 創造神が最高位にあり、天界と地上を支配するその絶対精神であったものが揺らいでいくのですね。ガリレイの言うように、「それでも地球はそれでも回っている」のであり、この世は「神」が創ったままの世界ではなく、ダーウィンの『進化論』に表されたように地球生命は地球誕生の歴史と共に進化してきたと言えます。
 そして宗教革命、パリ・コミューン、産業革命、時代はどんどん変わり、自然科学の発達と共に人は新しい「知識」に目覚めていきます。しかしあくまでもそれを否定するのが『フランケンシュタイン』で描かれたような“科学は「悪」を生む”という考えでしょうか。「黒魔術」と同じ感覚で科学は断罪され続けるのです。
 「グノーシス」(「知」を知る)ということは「悪魔」の仕業。「神」に反すること。これはガリレイが近年まで認められなかったということにも繋がるキリスト教会側の主張です。だからこそ『インデリジェント・デザイン』という“「神」によって世界は創られた”という考えがアメリカでは今も叫ばれており、学校では「地動説」と同時に教えるべきだと論議されているのですね。そのあたりは中世と何ら変わりないのですね。

  ところで活版印刷の発明は「新聞」という新しいメディアを生みます。誰もが活字となった「文字」を読むことができるようになったのですね。『小説の誕生』(高山修)には“小説の読者になりうる人たち”が登場してきたことが書いてあります。活字として印刷されたものが一般化され、一番大きな変化はそれまで全く「本」に無縁であった女性達が読者層になったとあります。確かに女性達は「小説」が好きです。現在も文学を支えている読者の大半は女性かもしれませんからね。どんな小説が読まれるかは、“読み手”の求めによるとも言えるのです。小説はいつもその“時代”を象徴してきたと言えるでしょう。
 経済の発展と共に市民階層が生まれ、女子も教養を身につける素地ができてきたこと、これが小説も変え、女性が描く女性のための小説が生まれてきます。オースティンの『自負と偏見』などは、そうしたサロンに集う機知に富んだ女性達の姿を活き活きと描いています。もちろん『嵐が丘』などのように幻想ロマンといった小説もありますが、市井の人たちの日常の物語が「小説」に描かれるようになったというのは特筆することかもしれません。日本では平安の昔から女性が物語の“書き手”として存在しましたが、西洋の文学史において“読み手”というだけでなく“書き手”として女性が登場してくるということは新しい現象だったのでしょうね。

 英米文化の背景にあるキリスト教精神やプロテスタントの禁欲精神は日本人には馴染みの無いものです。なので以前【【ウィリアム・ブレイクの詩】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/06/post_5249.html にも書きましたが、ブレイクの詩も単に“象徴的な美しい言葉”の詩として解釈している人が多いのです。しかし、これはまだ「罪」を知らない誘惑に堕ちない前の『Songs of Innocence』と、リンゴを食べてしまった「罪」を経験後の『Songs of Experience』であるということ。
「イノセント・ワールド(楽園)」と「ロスト・ワールド(失楽園)」なのであって、「神」の下にある人間の「善」と「悪」を歌ったものなのです。毎回語ってきていますが、英米の文学のみならず、西洋の思想、政治文化、すべてこうした宗教的な背景を考えておかなければ何も“読む”ということができないということを肝に銘じておきましょうね。
 
 
 プロテスタントの経済に関する影響などは【『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/06/post_d99a.html に、
 ロレンスに関しては【 D・H・ロレンスとシモーヌ・ヴェイユ  】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/12/dh_7da2.html に書いてありますので、関心のある方は読んでみてください。






   




 

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