『世界は劇場』 磯野守彦
前回書きました【英文学とその宗教的背景】を考えるに相応しい本がありますので紹介します。
日本にも『世界定め』という言葉があります。歌舞伎などであらかじめ決められている約束事。設定された世界というものがありました。舞台の上での演劇は役者が演じる空事でありながら、『劇場を世界とし、世界を劇場と化すのである』と磯野氏が述べているように、そこに異空間を創り上げていく。
西洋の場合は教会劇から始まっていますからテーマは『聖書』の中のキリストの物語であり、『神を頂点とする<劇場=世界>の構図』と本書に書いてあるように、世界の構図の中心に「神」が存在していたのですね。そこに描かれるのは「神の世界」の神聖、清浄、無垢であるのに対し、反対に「悪の世界」は欲に溺れ貪欲で抑制の効かない人間界を表すことなのかもしれません。最後は「悪」が懲らしめられるのですが、“悔い改める”前には“罪深い人間”が描かれるのです。
どうやらこの“悔い改める”というのは“試される”と並ぶ、キリスト教のテーマなんですね。いずれにせよ「神の御手」による導き「神の恩寵」によって人間は正しい道へ誘(いざな)われると言えるのでしょう。本書にはシェークスピアの『終わりよければすべてよし』が紹介されていて、突然の改心について書いてあります。磯野氏は突然真実に目覚めたり、『突然悔い改め、愛徳の教えに従う』。これは『半ば宗教劇であるこれらの劇では、突然の改心は一種の「奇跡」の表れであり、突然であればあるほど効果は大きくなる。』と書いておられます。
とはいえ宗教的な道徳劇ばかりではありません。シェークスピアは特に人間の本心、その奥に潜む邪心や欲、人間の「悪」を描いた人でもありました。『マンドラーゴラ』は“目的のためなら手段を選ばない”マキアヴェリの『君主論』を下敷きに、君主は必ずしも道徳的である必要は無いといった内容になっています。これはチャップリンが『殺人狂時代』で、「一人を殺せば殺人だが、戦争で大勢を殺せば英雄だ」と言った言葉に通じますね。こうしたマキアヴェリズムがシェークスピアのリチャード三世やイヤーゴの人格を形成になっていると磯野氏は書いています。
神的であることの「善」に対する「悪」、徹底した冷酷さや非情、悪意や嘘、人を信じない猜疑心など、悪魔的な対立構造を持ち込むことで、劇はよりドラマティックに展開することになるのでしょう。
ここで、「おや?」と思うのは、中世イギリスとはほど遠いテネシー・ウイリアムズの『欲望という名の電車』が途中紹介されているのです。「欲望」と「墓場」という電車に象徴されるこの戯曲は「性」と「聖」の「汚濁」と「浄化」、一直線に「死」に向かうような清濁同時に重ね持った悲劇の物語ですが、なんと磯野氏によれば『聖書』が下敷きになっているというのです。
主人公の名の「ブランチ」がフランス語の[blanche]の英語読みと言われてみれば確かにフランス語では「白」という意味。純白は潔白の色でもあり、そして『昔絵によく描かれた聖母マリアの着物の色。』と彼女がラストの場面で着る「青い服」の色は「聖母マリア」の象徴でもあります。
あまりに昔に読んだのでまったく見過ごしていましたが、テネシー・ウイリアムズがこのように計算された構図で作品を作っていたとは知らなかったので驚きました。物語としても大変素晴らしいのですが、なるほど、そう考えてみれば彼女を執拗に追い込んでいく「スタンレーStanley」は[Satan悪魔][sataneひどい,すさまじい]というフランス語に通じますね。
さて、【英文学とその宗教的背景】でも書きましたように、イギリスの宗教的変遷は他のヨーロッパキリスト教国とは少し様相が違い、カトリックとは一線を画した独自の「イギリス国教会」というものを作っています。プロテスタント的でありながらそうとも言えず、ピューリタン革命が起きる原因はそこにあったのですが、丁度エリザベス1世の時代、シェークスピアが活躍した時代は王もカトリックを擁護したり、プロテスタントを擁護したり、王が代わるたびにクルクル国の信仰も変わり、その度に対立する側が弾圧され殺されたり、国外に逃亡したりしていた時代でした。
1603年エリザベス女王が死ぬとスコットランド王ジェームズ6世が後を継ぎます。この王がイギリス全土を統治することとなりジェームズ1世を名乗ります。それを記念して御前公演されたのが『マクベス』ということで、つまりマクベスを悪魔的に描くことで国教会のジェームズは神聖なる王という構図になっているのですね。
ところがジェームズが即位するやいなや、1605年にはカトリック教徒が国会に爆弾を仕掛ける事件がありました。もうひとつ重要なことはイギリスにおける宗教対立はカトリックと国教会ばかりではなく、国教会反対するのはプロテスタントの信者も同じだったのですね。ですからイギリス国教会は両者に対しての厳しい弾圧を行っていたのです。この時ジェームズに改宗を迫られたピューリタン(清教徒)達が1620年メイ・フラワー号でアメリカに渡り、これがアメリカのWASPの始まりというわけです。
ところで、シェークスピアの作品には“魔女”が登場します。私たちはそれを劇中の効果、ファンタジーとしての見方をしますが、エリザベス1世の時代からジェームズ1世の時代、どうやら一番“魔女狩り”がされた時代のようで、「呪術禁止強化令」というものがでているのですね。
1736年魔女に関する刑罰法規が全廃されたとありますから、シェークスピアに登場する“魔女”たちもずっと現実に存在していたことになるんですね。もちろん何の謂われもなくぬれぎぬで“罪”を着せられるわけですけれど、ホーソーンの『緋文字』などにも“魔女”として断罪される女性の物語が描かれています。
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