『西行物語』が語るもの
職業選択の自由など全く無かった時代、『蜻蛉日記』藤原道綱の母や『更級日記』の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)のように中流の家の娘たちは、誰かの嫁になるか、宮仕えをするか、そうした生き方以外の道などありませんでした。『とはずがたり』に描かれた後深草院二条
http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2007/10/post_b3d7.htmlのように、若い内はもてはやされて引く手あまたであった女性も、年増になって美貌も衰え、庇護されている男性からの寵愛を受けなくなれば、素っ気なく解雇されてしまう事も普通にあったことと思われます。
父親であろうが、夫であろうが、愛人であろうが、女性は誰かの庇護に縋って生きるしかありません。意に染まぬ結婚をし、夫の愛人関係に悩まされ、子育てを生きがいとする藤原道綱の母、出家する菅原孝標女。日本物語の中ではよく「出家」の話しが出てきますが、不本意であろうと世の定めに従って生きるしかなかった女性達は、せめて出家することによって、俗世の悩みからも解放され、人生の終末を御仏の元でこころ安らかに生きることを願ったのでしょう。
数々の男と関係を持ち、自由恋愛を謳歌したかに見える後深草院二条も院から見放され、宮務めが終われば出家するしか行き場所が無かったように見えます。自から好きで男達の相手をしていたと思われる二条でさえ、『のがるるところなくて宮仕ひゐたるも、いまさら憂き世の習ひも思ひ知られはべる』という言葉を残しています。すべては院の意向であって、イヤとは言えなかったというのが本音だったのでしょう。
では一方の男性は? 栄華栄達ばかりが男の夢とも限りません。男たちもまた、どんな家に生まれようと出自に縛られ、簡単にイヤとは言えない宮仕え、他のどんな生き方も許されないのです。世の定めに従って生きるしかありません。しかし現代人が悩むように、どんな世であれ自分の生き方がこれでいいのか悩むのが人の常なのでしょう。男子と言えども、出世欲のある野心家ばかりとは限らないのです。
http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2007/10/post_b3d7.htmlのように、若い内はもてはやされて引く手あまたであった女性も、年増になって美貌も衰え、庇護されている男性からの寵愛を受けなくなれば、素っ気なく解雇されてしまう事も普通にあったことと思われます。
父親であろうが、夫であろうが、愛人であろうが、女性は誰かの庇護に縋って生きるしかありません。意に染まぬ結婚をし、夫の愛人関係に悩まされ、子育てを生きがいとする藤原道綱の母、出家する菅原孝標女。日本物語の中ではよく「出家」の話しが出てきますが、不本意であろうと世の定めに従って生きるしかなかった女性達は、せめて出家することによって、俗世の悩みからも解放され、人生の終末を御仏の元でこころ安らかに生きることを願ったのでしょう。
数々の男と関係を持ち、自由恋愛を謳歌したかに見える後深草院二条も院から見放され、宮務めが終われば出家するしか行き場所が無かったように見えます。自から好きで男達の相手をしていたと思われる二条でさえ、『のがるるところなくて宮仕ひゐたるも、いまさら憂き世の習ひも思ひ知られはべる』という言葉を残しています。すべては院の意向であって、イヤとは言えなかったというのが本音だったのでしょう。
では一方の男性は? 栄華栄達ばかりが男の夢とも限りません。男たちもまた、どんな家に生まれようと出自に縛られ、簡単にイヤとは言えない宮仕え、他のどんな生き方も許されないのです。世の定めに従って生きるしかありません。しかし現代人が悩むように、どんな世であれ自分の生き方がこれでいいのか悩むのが人の常なのでしょう。男子と言えども、出世欲のある野心家ばかりとは限らないのです。
何事にとまる心のありければ
さらにしもまた世のいとわしき
1140年、数え二十五才(現在の年齢で言えば二十三)という若さで、妻子もありながら突然「出家」したいと願った西行(佐藤義清)。彼もそんなひとりだったと言えるでしょうか。ひじょうに有名なエピソードとして出家の心絶ち難き故、かわいい娘が慕って西行に駆け寄る場面で、その幼い娘を蹴飛ばすという話しがあります。
『西行物語』というのは後世の誰かが西行の歌を元に綴った物語ですので、一体どこまでが真実でどこまでが脚色されたものなのか定かではありません。しかし、ここでは一応書かれた内容に添って話しを進めていくことにしましょう。出家前の西行が娘を蹴落とす話しは余程衝撃的であったのでしょう。絵巻として残されているものには必ずその場面が描かれています。こうした逸話が、物語を劇的にするために勝手に作者が挿入した作り話とは思われません。『平家物語』でもそうですが、現実にあった事件であるからこそ、見てきたように語り継がれてきた物語というものがあると思うのです。出家までの西行の様子は絵巻に書かれた内容でほぼ間違いないのではないかと思われます。
さらにしもまた世のいとわしき
1140年、数え二十五才(現在の年齢で言えば二十三)という若さで、妻子もありながら突然「出家」したいと願った西行(佐藤義清)。彼もそんなひとりだったと言えるでしょうか。ひじょうに有名なエピソードとして出家の心絶ち難き故、かわいい娘が慕って西行に駆け寄る場面で、その幼い娘を蹴飛ばすという話しがあります。
『西行物語』というのは後世の誰かが西行の歌を元に綴った物語ですので、一体どこまでが真実でどこまでが脚色されたものなのか定かではありません。しかし、ここでは一応書かれた内容に添って話しを進めていくことにしましょう。出家前の西行が娘を蹴落とす話しは余程衝撃的であったのでしょう。絵巻として残されているものには必ずその場面が描かれています。こうした逸話が、物語を劇的にするために勝手に作者が挿入した作り話とは思われません。『平家物語』でもそうですが、現実にあった事件であるからこそ、見てきたように語り継がれてきた物語というものがあると思うのです。出家までの西行の様子は絵巻に書かれた内容でほぼ間違いないのではないかと思われます。
突然の出家といい、娘の逸話といい、唐突で衝撃的であったからこそ、ずっと語り継がれたのではないでしょうか。西行の場合は詠んできた歌がありますから、出家後の足跡はほぼ忠実に描かれていると考えてよいでしょう。
彼の歌の才能は鳥羽院からも覚え目出度く、周囲を羨ましがらせていました。ところが親しくしている同じ北面の武士である佐藤左右衛門尉憲康は悩みを持っている青年で、このまま生きてどうなるのか、自分の人生に疑問を持っていました。西行に悩みを相談するのですね。妻や老いた母がいるのに、世の中のことが夢幻のように思え、「出家」したいとうち明けるのです。生きていることに現実感もなく、今で言えば“鬱”状態にあったのでしょう。翌朝西行が憲康を迎えに行くと、昨晩のうちに死んだことが分かりショックを受けます。
世の中を夢と見るるははかなくも
なほ驚かぬわがこころかな
西行は憲康の死に衝撃を受けますが、世の中を儚しと見る心境に驚かない、と歌っているのですね。西行は憲康の心の内を我がこころと重ね合わせ、ますますこの世を憂しと考えたのでしょう。父の元へ慕い走り寄ってきた娘を蹴落とすという話しは、ここで出てきます。彼は出家の決意を妻にうち明け、自ら剃髪し、家を出ます。
妻や子がありながら、世を儚んで出家する。しかしそこを踏ん張って仕事をし妻子を養っていくのが夫たる父たるものの責任とも思うので、老年になって出家する場合と違い、自分のことだけ考え妻子を捨て出家してしまう西行は身勝手な男のような気もします。生きているということは、辛いことの方が多く、ほとんどは自分の思い通りにはならず、反対にイヤなことばかりが降りかかってくるものです。人生は意に添わぬことばかりが多く、しかし生きるとはそうした全てを受け入れ甘んじることでもあります。
彼の歌の才能は鳥羽院からも覚え目出度く、周囲を羨ましがらせていました。ところが親しくしている同じ北面の武士である佐藤左右衛門尉憲康は悩みを持っている青年で、このまま生きてどうなるのか、自分の人生に疑問を持っていました。西行に悩みを相談するのですね。妻や老いた母がいるのに、世の中のことが夢幻のように思え、「出家」したいとうち明けるのです。生きていることに現実感もなく、今で言えば“鬱”状態にあったのでしょう。翌朝西行が憲康を迎えに行くと、昨晩のうちに死んだことが分かりショックを受けます。
世の中を夢と見るるははかなくも
なほ驚かぬわがこころかな
西行は憲康の死に衝撃を受けますが、世の中を儚しと見る心境に驚かない、と歌っているのですね。西行は憲康の心の内を我がこころと重ね合わせ、ますますこの世を憂しと考えたのでしょう。父の元へ慕い走り寄ってきた娘を蹴落とすという話しは、ここで出てきます。彼は出家の決意を妻にうち明け、自ら剃髪し、家を出ます。
妻や子がありながら、世を儚んで出家する。しかしそこを踏ん張って仕事をし妻子を養っていくのが夫たる父たるものの責任とも思うので、老年になって出家する場合と違い、自分のことだけ考え妻子を捨て出家してしまう西行は身勝手な男のような気もします。生きているということは、辛いことの方が多く、ほとんどは自分の思い通りにはならず、反対にイヤなことばかりが降りかかってくるものです。人生は意に添わぬことばかりが多く、しかし生きるとはそうした全てを受け入れ甘んじることでもあります。
そう考えるなら、自分ひとり出家してしまうというのは男として夫として、まして父親としてあまりに無責任なような気がします。一体どのような心境が彼を出家に駆り立てたのでしょう。
サッカーの中田英寿がW杯後“自分探し”の旅に出たことで世間を驚かせましたが、西行の出家も突然で当時の人を困惑させたのでしょう。人は誰しも今居る“ここ”が本当の自分の居場所なのか迷います。家族や友人、教師や上司、人間関係でも煩わしいことばかりあって、今居る場所から逃げ出したいと思います。けれど自分の思い通りにならないのが人生で、“どこかに”行けば自分の探す桃源郷があるのではありません。太陽を巡る惑星のように「世間」も自分にくっついていつまでも廻っているものなのです。生きている限り“どこ”に行っても同じなんだと、“ここ”という今居る場所を受け入れ、それを自分の現実とし、後はいかに自分の中で変化させていくかということが“大人になる”ということかもしれません。けれど、若い内はバックパッカーになり、小田実ばりに『何でも見てやろう』と放浪の旅に出たいと思います。チェ・ゲバラhttp://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/11/post_6c9c.html だってそうでした。彼がその“自分探しの旅”で見つけたのは、貧しい山岳の住民や隔離され自由を失われたハンセン病の患者たちでした。医師になってエリートコースを歩む道を捨て革命に生きるのも、その旅が始まりだったのですからね。“今”を捨てたいと願い、何かを打開したいと考えるうのは万国共通の人の想いとも言えます。
西行の当時の職は、佐藤左右衛門尉憲康と同じ「左右衛門尉」と思われます。これは「左右衛門大尉」が従六位でありますから更に下、いわゆる宮中に上がる高級官職である「殿上人」ではありません。つまりどれだけ役職に励んだところで従六位止まり、もし彼が役所勤めを全うしたところで、「従六位」が彼の登りつめる最高位だったのですね。官位では五位までが殿上(昇殿)を許された人で、蔵人のみが六位でも特に昇殿を許されたとあります。つまり西行は最高位の「左右衛門大尉」になったところで、昇殿は許されない位置にいたのです。
北面の武士のみ直属の護衛官だったという見方もありますが、身分がすべてものを言った時代、これでは世を儚みたくなるかもしれません。まして西行は歌が上手いということで鳥羽院からもお声がかかるほどです。しかし自分のみが殿上人ではないのに、殿上人と交って華やかな宴に出席する。身分の高い貴族に混じって歌を読むこともかえって憚れることだったのかもしれません。
『西行物語』では、出家前の西行(義清)がわざときらびやかな衣装でそうした場に出ていくことが書かれています。本来なら位が下で、そのような場に呼ばれるはずも無いのに、歌が上手いということで特別な扱いを受ける。せめても殿上人の華々しさに負けないよう衣装だけは豪華に仕立てたものを用意して出向いたのでしょう。佐藤家は富裕であったと言われております。しかし衣装のみ殿上人に負けぬ、それ以上のものであったとしても、居心地の悪さを感じたのかもしれません。光栄であると同時に、そこが自分の場所ではないことを思い知らされたことでしょう。
サッカーの中田英寿がW杯後“自分探し”の旅に出たことで世間を驚かせましたが、西行の出家も突然で当時の人を困惑させたのでしょう。人は誰しも今居る“ここ”が本当の自分の居場所なのか迷います。家族や友人、教師や上司、人間関係でも煩わしいことばかりあって、今居る場所から逃げ出したいと思います。けれど自分の思い通りにならないのが人生で、“どこかに”行けば自分の探す桃源郷があるのではありません。太陽を巡る惑星のように「世間」も自分にくっついていつまでも廻っているものなのです。生きている限り“どこ”に行っても同じなんだと、“ここ”という今居る場所を受け入れ、それを自分の現実とし、後はいかに自分の中で変化させていくかということが“大人になる”ということかもしれません。けれど、若い内はバックパッカーになり、小田実ばりに『何でも見てやろう』と放浪の旅に出たいと思います。チェ・ゲバラhttp://saturniens.air-nifty.com/sennen/2005/11/post_6c9c.html だってそうでした。彼がその“自分探しの旅”で見つけたのは、貧しい山岳の住民や隔離され自由を失われたハンセン病の患者たちでした。医師になってエリートコースを歩む道を捨て革命に生きるのも、その旅が始まりだったのですからね。“今”を捨てたいと願い、何かを打開したいと考えるうのは万国共通の人の想いとも言えます。
西行の当時の職は、佐藤左右衛門尉憲康と同じ「左右衛門尉」と思われます。これは「左右衛門大尉」が従六位でありますから更に下、いわゆる宮中に上がる高級官職である「殿上人」ではありません。つまりどれだけ役職に励んだところで従六位止まり、もし彼が役所勤めを全うしたところで、「従六位」が彼の登りつめる最高位だったのですね。官位では五位までが殿上(昇殿)を許された人で、蔵人のみが六位でも特に昇殿を許されたとあります。つまり西行は最高位の「左右衛門大尉」になったところで、昇殿は許されない位置にいたのです。
北面の武士のみ直属の護衛官だったという見方もありますが、身分がすべてものを言った時代、これでは世を儚みたくなるかもしれません。まして西行は歌が上手いということで鳥羽院からもお声がかかるほどです。しかし自分のみが殿上人ではないのに、殿上人と交って華やかな宴に出席する。身分の高い貴族に混じって歌を読むこともかえって憚れることだったのかもしれません。
『西行物語』では、出家前の西行(義清)がわざときらびやかな衣装でそうした場に出ていくことが書かれています。本来なら位が下で、そのような場に呼ばれるはずも無いのに、歌が上手いということで特別な扱いを受ける。せめても殿上人の華々しさに負けないよう衣装だけは豪華に仕立てたものを用意して出向いたのでしょう。佐藤家は富裕であったと言われております。しかし衣装のみ殿上人に負けぬ、それ以上のものであったとしても、居心地の悪さを感じたのかもしれません。光栄であると同時に、そこが自分の場所ではないことを思い知らされたことでしょう。
その鳥羽院の宴が終わって直ぐ西行は頭弁殿を介して院に「出家」を申し出るのです。駆け寄る娘を蹴飛ばしたのは、その日のことです。ここに西行の心境が現れているのではないでしょうか。
世の憂さに一方ならず浮かれ行く
心とどめよ秋の夜の月
歌を誉められ、つい浮かれて院の宴に招かれて行った。佐藤家一族喜んで、華やかな衣装も付けて赴いた。しかしこの時、秋風のような侘びしさが西行の胸を捉えたのではないでしょうか。宴に出席したことで、それまで彼の中で漠としていた憂いが、はっきりとした「出家」という決意となったように思えます。
出家の理由については、去る高貴なお方に恋をして失恋したためという説もありますが、それは後世の人が分かりやすい理由として想像しただけで、そのようには思われません。何となく世の中がイヤになった。世を儚んでというのが一番の理由だったのではないでしょうか。しかし、そうして自ら願い出た出家の道でしたが、きっぱりと世の中のことと縁が切れたかというとそうではありませんでした。絶ちがたい思いが去来する。
世を捨つる人はまことに捨つるかは
捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ
世を捨て出家したけれど、出家したから世を捨てたとは言い難い、出家の前の方が世を捨てていた心境だったのかもしれないと思ったのでしょうね。西行の歌を見ていると、全般にとても素直に心境を語っているように思います。望んで出家したものの、出家した当初は戸惑いも多かったのでしょう。都での生活や家族への思いもまだ絶ちがたいものがあったのでしょう。
さびしさに耐へたる人のまたもあれな
庵並べむ冬の山里
同じように世を捨て出家した人と庵を並べている時、少しは心が落ち着いたのかもしれないですね。けれど桜の咲く頃、ついでだからと、昔の知り合いがどやどやとやって来たようです。相手は西行が元気でやっているかどうか心配して訪ねて来てくれたのでしょうが、西行にすれば、せっかく世を捨て山里に居てこころが落ち着いたかと思っているのに、またこころが乱されるのです。
花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎にはありける
西行は初め洛西大原野の勝持寺で出家し、その後嵯峨野や鞍馬、高野山、吉野などいろいろな所を転々として修行をしていたようです。思い描いていたほど、出家後の暮らしに平安が訪れたわけでもなく、このような歌も詠んでいます。
鈴鹿山浮き世をよそにふり捨てて
いかになりゆく我が身なるらむ
世を捨て出家したものの、一体自分はどうなるんだろうか、と漠とした不安を抱いていたようですね。時には都で親しくしていた人を思い出したりして懐かしむ歌を詠んだりもしています。もしかしてそれは別れてきた妻かもしれないし、自分を評価し重用してくれた鳥羽院のことを思い出していたのかもしれません。出家したからといって全部の思いも捨てきれるものではなかったのでしょう。情もある生身の人間ですから、なお後ろ髪をひかれる思いもあったのでしょう。
月見ばと契りおきてしふるさとの
人もや今宵袖ぬらすらむ
紅葉見て君が袂やしぐるらむ
昔の秋を思ひ出でつつ
もとの生活に戻ろうとは思わなかったでしょうが、出家前の生活を懐かしむ歌を多く詠んでいるようです。『西行物語』には昔別れた妻もその後出家、例の廊下で蹴飛ばした娘は冷泉院の御局の養女になり、冷泉院の女房として仕えていたのですが、再会したその娘に西行は仏門に入る事を勧め、彼女は授戒し出家した母と共に暮らしたことが書かれています。
月を見てこころ乱れしいにしへの
秋にもさらにめぐり逢ひけり
若さは直に老い、人の世の命は夢まぼろしの如き儚いものであればこそ、来世、仏門に入った妻や娘を極楽浄土で迎えようと西行は言っています。
出家し歌詠みの世界に入ったことで身分には囚われることなく、藤原俊成、定家親子との親交や歌会などにも招かれて歌を詠んだり、自ら歌会なども主催し、歌人としての名声は得ることができました。西行の歌が現在も数多く残っているのもそうした親交あればこそと考えられます。けれど彼の一生を見ていくと、出家したからといって悟りを開き人生に達観したかと言えばそうではありません。むしろ、自身の生き方に納得したとは思われません。最期まで悩み迷い、こころは揺れ動いていたのではないでしょうか。
世の憂さに一方ならず浮かれ行く
心とどめよ秋の夜の月
歌を誉められ、つい浮かれて院の宴に招かれて行った。佐藤家一族喜んで、華やかな衣装も付けて赴いた。しかしこの時、秋風のような侘びしさが西行の胸を捉えたのではないでしょうか。宴に出席したことで、それまで彼の中で漠としていた憂いが、はっきりとした「出家」という決意となったように思えます。
出家の理由については、去る高貴なお方に恋をして失恋したためという説もありますが、それは後世の人が分かりやすい理由として想像しただけで、そのようには思われません。何となく世の中がイヤになった。世を儚んでというのが一番の理由だったのではないでしょうか。しかし、そうして自ら願い出た出家の道でしたが、きっぱりと世の中のことと縁が切れたかというとそうではありませんでした。絶ちがたい思いが去来する。
世を捨つる人はまことに捨つるかは
捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ
世を捨て出家したけれど、出家したから世を捨てたとは言い難い、出家の前の方が世を捨てていた心境だったのかもしれないと思ったのでしょうね。西行の歌を見ていると、全般にとても素直に心境を語っているように思います。望んで出家したものの、出家した当初は戸惑いも多かったのでしょう。都での生活や家族への思いもまだ絶ちがたいものがあったのでしょう。
さびしさに耐へたる人のまたもあれな
庵並べむ冬の山里
同じように世を捨て出家した人と庵を並べている時、少しは心が落ち着いたのかもしれないですね。けれど桜の咲く頃、ついでだからと、昔の知り合いがどやどやとやって来たようです。相手は西行が元気でやっているかどうか心配して訪ねて来てくれたのでしょうが、西行にすれば、せっかく世を捨て山里に居てこころが落ち着いたかと思っているのに、またこころが乱されるのです。
花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎にはありける
西行は初め洛西大原野の勝持寺で出家し、その後嵯峨野や鞍馬、高野山、吉野などいろいろな所を転々として修行をしていたようです。思い描いていたほど、出家後の暮らしに平安が訪れたわけでもなく、このような歌も詠んでいます。
鈴鹿山浮き世をよそにふり捨てて
いかになりゆく我が身なるらむ
世を捨て出家したものの、一体自分はどうなるんだろうか、と漠とした不安を抱いていたようですね。時には都で親しくしていた人を思い出したりして懐かしむ歌を詠んだりもしています。もしかしてそれは別れてきた妻かもしれないし、自分を評価し重用してくれた鳥羽院のことを思い出していたのかもしれません。出家したからといって全部の思いも捨てきれるものではなかったのでしょう。情もある生身の人間ですから、なお後ろ髪をひかれる思いもあったのでしょう。
月見ばと契りおきてしふるさとの
人もや今宵袖ぬらすらむ
紅葉見て君が袂やしぐるらむ
昔の秋を思ひ出でつつ
もとの生活に戻ろうとは思わなかったでしょうが、出家前の生活を懐かしむ歌を多く詠んでいるようです。『西行物語』には昔別れた妻もその後出家、例の廊下で蹴飛ばした娘は冷泉院の御局の養女になり、冷泉院の女房として仕えていたのですが、再会したその娘に西行は仏門に入る事を勧め、彼女は授戒し出家した母と共に暮らしたことが書かれています。
月を見てこころ乱れしいにしへの
秋にもさらにめぐり逢ひけり
若さは直に老い、人の世の命は夢まぼろしの如き儚いものであればこそ、来世、仏門に入った妻や娘を極楽浄土で迎えようと西行は言っています。
出家し歌詠みの世界に入ったことで身分には囚われることなく、藤原俊成、定家親子との親交や歌会などにも招かれて歌を詠んだり、自ら歌会なども主催し、歌人としての名声は得ることができました。西行の歌が現在も数多く残っているのもそうした親交あればこそと考えられます。けれど彼の一生を見ていくと、出家したからといって悟りを開き人生に達観したかと言えばそうではありません。むしろ、自身の生き方に納得したとは思われません。最期まで悩み迷い、こころは揺れ動いていたのではないでしょうか。
極楽浄土で娘を迎えると約束したように、現世では得られなかったこころの“居場所”を死後の世界に求め、そこに望みを託していたように見受けられます。西行の心にありつづけた寂しさのようなものは、そのせいだったのではないでしょうか。
仏門に入ったからといって、そのまま真っ直ぐ厳しい修行を続け名高い高僧になるのではなく、旅を続け、追い続けて追い続けてもついぞ答えを得られない、その迷いの中にこそ人間としての真実があったように想います。
仏門に入ったからといって、そのまま真っ直ぐ厳しい修行を続け名高い高僧になるのではなく、旅を続け、追い続けて追い続けてもついぞ答えを得られない、その迷いの中にこそ人間としての真実があったように想います。
願わくは花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ
その如月の望月のころ
今も昔も生きることは難しいことですもんね。
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