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2007年12月25日 (火)

建速須佐之男命(素戔嗚尊)と大祓 『行事寳典』

  「日本」という国を考えるとき、外国人から観た日本というものが我々日本人に気づかなかった視点を与えてくれることが多いのですが、年の瀬に大掃除するということもその一つかもしれません。
 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は初めて日本にやって来たときの印象として、日本人が殊の外清潔好きであることに驚き、それを書いています。
 朝起きて往来を掃き清める。水を撒く。こうしたことは少し前までの日本人の日常でした。
 ところで、この「清潔好き」「掃除好き」というのは、言い換えれば「汚れを嫌う」ということでもあります。いつも清々しくしていたい。そしてこの“清々(スガスガ)しい”の【スガ】こそが、「日本」の清潔好きを解き明かすキーワードでもあるのです。

  「日本」という国を読み解くとき、以前このブログでも日本における「右と左」を【『古事記』:「左」の優位性】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/09/post_45ce.html や、【『右左/みぎひだり』 】http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/09/post_e6cf.htmlでも書きましたが、『古事記』には、日本の原初原点にあたる記述も多く、大変面白い読み物と言えるのですが、今回も『古事記』と日本人の「大掃除」との関係を紐解いてゆくことにしましょう。

  何故か新年を迎えるにあたり国民こぞって「大掃除」するというのもかなり不可思議な現象と言えます。この「すす払い」の行事は、更に大々的なものとして年末どの神社仏閣でも行われる年中行事であり、年末の風物詩としてテレビなどでもよく放送されます。
 とはいえ、これは重要な「神事」でもあるのですね。「掃除」が日常の作業というなら分かりますが、「神事」であるということは如何なる理由からなのでしょうか。実はこれには深い深い事情があったのです。

  『古事記』には、建速須佐之男命(素戔嗚尊)が出雲にて八俣の大蛇を退治した後国造りをせんと、「須賀」の地に到りそこで『吾れ此処に来て、我が御心“すがすがし”』と言い、そこに宮を作ったとあります。つまり“清々(スガスガ)しい”の【スガ】は、アマテラスオオミカミ(天照大神)に高天原を追われたスサノオのミコト(建速須佐之男命(素戔嗚尊))が出雲にやってきて宮を築いた地名なのです。
  『出雲の古代史』門脇禎二氏(NHKブックス)によれば、この【スガ】は『菅の生ふる湿地』という説や、『砂州のある浄地』という説があるそうですが、門脇氏は「飛鳥(アスカ)」などのように「スカ(スガ)」という呼び名と「聖地」としての意味を関係づけられた考察をされています。
 心がひじょうに“清々しくなる”ような場所。そこに宮を作ったことで、その地は【須賀(スガ)】と呼ばれるようになったと『古事記』には記されています。
 
  ところで、神道秘伝という、あらゆる神道行事を記した神宮館発行 山田照胤氏の『行事寳典(ホウテン)』という本があります。ここには実に興味深いことが書いてありまして、宮中でも最も重要な儀式として「大祓え」というものがありますが、これがなんと、建速須佐之男命(素戔嗚尊スサノヲノミコト)が高天原でした罪、天照大神の神殿を破壊、汚した罪に対する刑罰を神事化したことだと記されているのです。
 ナルホド「汚したもの」を「清浄する」ということ。それが「大祓え」だったのですね。しかもこの行事は神武天皇が橿原神宮造営と共に天兒屋命(アメノコヤネノミコト)の子、天種子命(アメノタネコノミコト)に6月と12月に「大祓」の勅命を発したところから始まったとされています。これは国法によってされたとありますから、必ずしなければならないものと定められたのです。

  イヤハヤ、このときから日本人は「大祓」の神事に倣い「大掃除」というものをするようになったのですね。今は6月に「大掃除」をしませんが、12月の「大掃除」はしっかり国民に残ったというわけなのです。
 この「大祓」の行事が、単に「スス祓い」、神殿の「汚れ」を清め祓うということではなく、実は建速須佐之男命(素戔嗚尊)の犯した「罪」も祓うということであったこと。
  『“須賀須賀(スガスガ)しい”』と、「清々しい」清らかさをその地に詠んだ建速須佐之男命(素戔嗚尊)の「罪」のケガレとキヨメ、一年のあらゆる「罪」を祓うのが「大祓(大掃除)」なのでした。

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