橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』
古代日本の言葉を考えるに相応しい本がありましたので紹介します。
橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』(岩波文庫)には、「どれだけの違った音でその言語が組立てられているか」「その言語にはどれだけの違った音を用いるか」ということが書いてありました。「或る音は或る国で使うけれども或る国の言語では使わない」、確かにそうですよね。特に子音の多い外国語の発音では、日本語には無い発音が多くあります。
これを読みながら、上田秋成と本居宣長の、古代日本に【ん(n)】はなく【牟(mu)】と発音していたという論争を思いました。その論争に関しての考察を以前、このブログにも二度に渡って書きました。
「神かむm」と「神かんn」の考察 本居宣長vs上田秋成 http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/10/vs_22f5.html
本居宣長vs上田秋成【む】と【ん】の『『呵刈葭(かがいか=あしかりよし)』論争(2)http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/10/vs__43f9.html
二人が何を論争したかと言えば、古代日本語の「表記」と「発音」の違いを研究していた本居宣長は、『古事記』や『万葉集』に記された古代の万葉仮名の「加牟加是(神風)」という表記を見て、「神」を【かん」とは発音しなかった、「神」は【加牟=かむ(mu)】と発音していた、古代に「ん【n】」という発音は無かったと言い切っているのです。
それに俄然反駁したのが『雨月物語』などでお馴染みの上田秋成でした。表記は【牟=む(mu)】となっているが、それを【ん(n)】と読むのが日本語の習わしである。『私意もはなはだしい。』と、これが日本語論争として天下に鳴り響いた本居宣長と上田秋成、両者一歩も譲らない『音韻考』論戦の始まりでした。
それに俄然反駁したのが『雨月物語』などでお馴染みの上田秋成でした。表記は【牟=む(mu)】となっているが、それを【ん(n)】と読むのが日本語の習わしである。『私意もはなはだしい。』と、これが日本語論争として天下に鳴り響いた本居宣長と上田秋成、両者一歩も譲らない『音韻考』論戦の始まりでした。
それまで口伝で伝えられてきた『古事記』を、万葉仮名という[文字]の表記に編纂したのが太安万侶でした。古代日本語の発音にそって、一字一句を漢字の音に合わせていったのです。ところが中国の漢字には【ん(n)】を表記する漢字が無かった! そこで、やむなく【牟(mu)】で代用していた。
そう考えれば、何故古代日本人が【牟(mu)】という漢字を【ん(n)】と読んできたかが分かると思うのですが、いかがでしょう。
万葉仮名という[漢字]だけで表記していた時代は【牟(mu)】としか書きようが無く、仕方がないからそれを【ん(n)】と読んできたけれど、[かな文字]が登場して、日本人は[ん]という文字を創造し、「いろは」に加えました。ところがそれまで永く【牟(mu)】と書いてきたので、やはり【ん(n)】を書く場合【む(mu)】と表記する風習だけが残ってしまった。
この「表記」と「発音」の違いを改め、[ん]と書いて[ん]と発音するには、[新かな遣い]になるまで待たなければなりませんでした。
これは、わたくしの個人的な見解ですが、今回この橋本進吉氏の『古代国語の音韻に就いて』を読みながら、そのような考えに到ったのです。
橋本進吉氏はアイヌにおける[サ・シ・ス・セ・ソ]と[シャ・シ・シュ・シェ・ショ]の発音が、同じ音として発音されているということを書いておられますが、これは魚の[鮭(サケ)]を[シャケ]と発音することにもつながるのかもしれません。
以前イラストレーター(今は画家として活躍)の横尾忠則さんの自伝を読んでいましたら、東京に初めて上京して食堂に入り、少し気取って[サケ]と注文したら[鮭]ではなく[酒]が来てしまったというエピソードを書いていましたが、江戸っ子が[鯛(たい)]を[てい]と言ったり、[広(ひろ)い]を[しろい]といったり、九州弁では[銭(ぜに)]を[じぇに]といったり、方言ではこのように同じことを言うのにも、違う発音をする場合が多くあります。言葉訛りというものも、「表記」と「発音」の違いを極端に表している例と言えるでしょう。
また、英語では犬の鳴き声を[baubau]と書き、日本人は[ワンワン]と書きますが、こうした耳から入ってくる音声は特に、個人的な捉え方でも違い、擬音・擬態語の類は、表記との落差が一番大きいものかもしれません。
橋本進吉氏は「古代の言語については、昔の人がどれだけの違った音を聴き分け言い分けておったかということは、昔の人の文字に書いたものによって知るほか方法がないのであります。」と書いておられます。
一昔前まで、【い】と【ゐ(wi)】や、【え】と【ゑ(we)】を使い分けていましたが、今はその微妙な違いも使われなくなってしまいました。現在残っている【は】と【わ】、【お】と【を】に関しては、使い分けていますが、発音はどちらも同じようになってしまっています。かろうじて【を(wo)】の発音は残っているでしょうか? ほとんど区別はされていないと思いますが、【は】と【わ】は[私は]という時、完全に同じ(wa)という発音になってしまっています。
こうした「表記」と「発音」の問題以上に、『古事記』や『万葉集』を読んでいると、以前『古事記』ヒメ考にも書きましたが、同じ発音の[ひめ]という言葉に対し、【比売(ヒメ)】と書いてあるもの、【比賣】【毘売】【日売】と、違う漢字で表記されているなど、多くは同じ言葉でありながら、違う字を充てているという場合がたいへん多いのです。
普通に考えれば、違う漢字を充てているのだから、当然、何らかの違いを示しているのではないか、とも考えられますが、「意味」よりもその漢字の読み=「音」が重要であったから、どの漢字を使っていても同じなのか、それは現在となっては定かではありません。
契沖は、そうした研究をした人でもありますが、同じ[いる]ということばの「入る」は、【い】であり、「居る」は【ゐ】ということを明らかにしたのです。先程の【お】と【を】に関しても、[意、於、淤、乙]は【お郡】、[遠、乎、嗚、怨]は【を郡】と、はっきり区別をつけたのが契沖だったのですね。
今一番関心を持っているのは、[高天原(タカマガハラ)]のように、本来【タカ・アマ・ガハラ】と読むべきところをフランス語のリエゾンのように、つなげて読んでしまうところでしょうか。万葉仮名でも[高天原]と表記されているので、実際はきちんと【タカ・アマ・ガハラ】と読まれていたのかもしれません。
フランス語では末尾の子音が次の語の母音と結合しリエゾンされるのですが、この場合は【taka・ama】ですから、母音間の<aa>のうちの<a>が一つ抜け落ち【tacama】となっていることが分かります。
また擬音として『古事記』には[許々遠々呂々]と書き、【こをろこをろ】=「コロコロ」と転がる様が書かれているのですが、[許々遠々呂々]と書いてあるのですから、普通に読めば【ここををろろ】と読むべきところです。転がる様は「ココヲヲロロ」と読んでもいいような気がしますが、どうなのでしょう。このあたりは、今後も更に突き詰めていきたいところです。
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