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2008年3月12日 (水)

『アニミズムの世界』村武精一(吉川弘文館)

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  ここには日本古代の磐座(いわくら)信仰について書いてあります。
  『古事記』には古代天皇家と草薙の劔を始めとする尾張の関係が多く出てきますが、尾張一宮と言われる真澄田神社には、それほど大きくない数個の岩が丸く囲むように配置されている磐座があります。社(やしろ)が出来上がるのはもっと後世で、古代の神の座はこうした石が囲む場所であったのですね。磐座は聖なる御座であり、神が降り立つ場所でした。
  今でも日本庭園を作庭する際、池には必ず亀石と鶴石、蓬莱山に見立てた岩が置かれます。また石舞台古墳のような巨石でなくとも、現代の我々でさえ古代人と同じように石を使ってお墓を作ります。これも「石」に「霊的」な意味を持っていたと考えれば納得できます。
  イギリスのストーンヘンジなども同じように祭事が行われた場所と考えられますから、ストーン・サークルという概念、磐座信仰は日本だけのものではなく、古代アニミズムを考える時、人類が共通に持っていた石への信仰と考えられます。ピラミッドもマチュピチュも、世界の至る所で神が祀られる所には石が築かれ、聖なる場所として崇められてきたのでしょう。

  もうひとつ本書には興味深いことが書いてありまして、八重山に「ビジュル石」というものがあり、これは稲の豊饒の祈りの儀式で、殺された牛骨の汁、あるいは鶏の煮汁を供えるのだそうです。これも古来より、動物の生き血を捧げるという「生贄(いけにえ)」の儀式は、八重山のみではなく全世界的なことと言えますね。
  『古事記』には建速須佐之男命が出雲に辿り着いたとき、村の長から八俣の大蛇に娘を生贄に出す話しが出てきますが、生贄には、まだ穢れていない若い処女がその犠牲になることが多く、「ビジュル石」の習わしも、人身供養に代わりに動物で代用されたと考えても良いかもしれません。
  マチュピチュにも生贄を処刑する場として平らに並べた石がありますが、古代の人々が「神」に対し「生き血」を捧げるという考えを共通して持っているということにも驚かされます。
  田に立てられている「ビジュル石」も生贄の儀式の名残として残ったのでしょう。煮汁は儀式の後、参加した男達が食べ、屠殺し残った鶏の頭や骨、羽などはそのまま田の中に埋めるか、投げ入れられたとあります。
  
  本書によれば琉球では道のつきあたりT字路に「石敢當(いしがんとう)」と刻んだ石を立て、悪霊の侵入を防いだとあります。縄で縛った石を進入禁止の意味で路地に置くことが、茶道での作法にもありますが、往来に道祖神を立てたり、神社を囲む玉垣もそうですが、石でもって「結界」とするというのは、単なる目印というよりも、石そのものに霊力があると考えられていたからでしょう。
  何故「石」かと言えば、素材として朽ちないということもあったでしょうし、「石」が持つどっしりとした存在感があったのかもしれません。巨石そのものへの信仰は各地にあります。不変であるということは魂がずっと永遠に引き継がれていくということでもあり、巨木信仰も同じく、多くの神社には「御神木」と呼ばれる大木がありますが、何千年と時を経た木の生命力への畏敬が無生物である「石」にも同じようにあったのでしょう。万物に霊が宿るという考えはアニミズムの原点とも言えます。
  「石敢當(いしがんとう)」のように石一つで悪霊の侵入を防ぐという考えは素朴と言えば素朴で、それは「しめ縄」などにも言えることですが、古代の人がそれだけ悪霊が来ないことを願っていた証でもあるのでしょう。
  科学の発達していない時代、災いが降りかからぬよう悪疫悪霊を祓うことは最も重要な儀式で、祈ることで心を少しでも落ち着かせていたのでしょう。今でも神社のお札を貰って家の鬼門に張り付けておいたり、豆まきの風習も「家」に悪疫悪病災難を「内」に入れない儀式として残っています。 
 
  また反対に「ニール石」とよばれる境界石は、海の彼方から「世(ユー)」という豊饒神を向かえるものなのだそうです。奄美沖縄では海の彼方に「ニライカナイ」(楽土)があり、そこから神がやってくると信じられていました。「西方浄土」思想は海に囲まれた島国の人々にとって、彼方の海をさすことでもあったのですね。 
  それで思い出したのが、イースター島のモアイ像がみな大きな目が書かれていて海を向いていることです。モアイ像は外敵が海からやってくるのを防ぐという意味であろうと考えられていますが、あるいは迎え入れるということも考えられるかもしれません。いずれにせよ、島という外海にさらされている地域では、悪霊の侵入を防御する「石敢當(いしがんとう)」にせよ、彼方からくる豊饒の神を迎え入れる「ニール石」にせよ、海の方を向いて彼方を見つめてるということが必要だったのでしょう。

  
 村武氏は村落の「個人墓」と「氏墓」、村落外の「埋め墓」と村落内の「詣り墓」と興味深い考察をされていますが、墓地もやはり階層順、身分の高い者から並んでいることが書いてありまして、死後も身分に左右されていたことが印象に残りました。

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