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2008年4月24日 (木)

 ド・ラ・メトリ『人間機械論』

 
  デカルトは、優れた哲学者であり明晰な理論を持っていましたが、創造主としての「神」と、そのインテリジェント・デザインである「人間」という考えから離れることはできませんでした。
 心身二元論では「肉体」と「精神」を完全に分かち、肉体は自然界と同じ物質・物体と考え、精神とは切り離して考えていました。「神」によって創られた人間の精神は「神」に近づくものであらねばならず、生得的(ア・プリオリ)に良識や理性が備わっていると考えていました。
 その肉体と精神を結びつけるものが脳の奥の松果腺であり、血液が流れたり、心臓が動いたりする肉体の機械的な働きから、「動物機械論」を唱えます。「精神」と「肉体」を分けることで「精神」の高潔さ、霊的な崇高さを論じたのですね。
 
 当時の西洋社会において「神」は絶対の創造神としてありましたから、デカルトの理性をしても、「神」の存在は絶大だったのです。

 ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(1709-51)は、そうした「神」による精神の存在、霊魂を否定し、デカルトの「動物機械説」に対し、人間の精神も合一させた「人間機械論」を書きました。
 「精神は感覚の筆頭、いわばすべての感覚の集合場所」と、ド・ラ・メトリは脳も含めた人間の身体は、「あらゆる生物中もっとも完全なものである」ということを言ったのです。
 「機械」というと語弊がありますが、「機械」という言葉を「システム」に置き換えれば、彼の「人間機械論」というものが納得できるのではないでしょうか。
  「自然より受けたる理性の光を用い、かくて経験と観察のみがこの場合われわれを導くものである。」
 悟性というものが経験と観察によるもので、そうした中に人間の精神は築かれる。決して「ア・プリオリ」に内在し、‘直感'で引き出されるものではないと、彼は考えていました。
 「神」が人間を初めとする万物を創ったという神学者に対し、彼は、「狂信は人体のからくりに対するかれらの無知をさらに加えている。」と弾劾しています。

  ド・ラ・メトリは医者でした。人間の身体の構造・仕組みを熟知していたこと、それが「人間機械論」を生みだしたと言ってもいいでしょう。「魂と肉体はいっしょに眠る。」と彼が言うように、身体と心は分離できず、興奮すれば血が騒ぎ、血が沸き立てば興奮して眠られない。「魂の種々なる状態は肉体の状態と常に相関関係にある。」
 それが身体と心の関係なのですね。
  「人間はきわめて複雑な機械である」と彼は言っています。まさにシステムとしてこれ以上の機械は無いと言ってもいいですからね。何百台のコンピューターがあっても、人間が新たなものを生み出す想像力(=創造力)の代わりをすることができません。
  もう一つ彼が医者であったことで、人間や動物を実際に解剖した経験から、今日の脳性理学と変わりない見解を示しています。
 「判断力、推理力、記憶力は、魂の部分にすぎないのであるが、それは少しも絶対的なものではなく、この一種の髄質膜の多様な姿にほかならない、この膜のうえに、目に描かれた対象が、あたかも幻灯で写すように反射させられるのである。」
 浮かんでは消え、浮かんでは消える人間の思考をこのように、脳との関係で語っていることは慧眼です。
 
 もちろん本書の中には、納得しかねる発言もあります。女性蔑視と思われるような内容もあります。しかし、キリスト教会の異端に対する弾圧がひじょうに厳しいヨーロッパ社会において、18世紀初頭に、すでに「いかにして物質が、生命のない単純なものから、活力のあるものとなり器官からできあがったものとなったか」ということを考え、「有機組織を持った物質はひとつの原動力を具有しており、これのみが有機組織を持つ物としからざる物質との差違を作るものであることを認めていただきたい。」と、言っている人がいたということは驚きです。

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2008年4月26日 (土)

イタロ・カルヴィーノ『文学講義』

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 この本は「つぎの千年に保存されなければならないいくつかの文学的な価値」というカルヴィーノの壮大な構想で6回に分けてハーヴァード大学で講義されたメモから草稿されたものです。
 
  『木登り男爵』など、寓話的(幻想的)物語の作者とばかり思っていましたが、彼自身はムッソリーニの時代、パルチザンとして闘った闘士であったということが書いてあり、むしろ寓話や幻想小説にすることで、現実の社会を揶揄していたのか、と今頃気づきました。
 「間接的なヴィジョンのなかでのみ正体を現すものに目をむける」とカルヴィーノは語っていたそうですが、何かに置き換え言いたいことを表現する。カリカチュアの手法は絵画だけのことではありません。直接的な闘争行動ではなく、銃をペンに持ち替え詩や小説にしてゆくこと、児童文学に見せかけたファンタジーで語るアナロジカルな表現も、それは小説家としての矜持であり、また心に秘めた抗議手段でもあったのですね。
 こうしたアナロジーの手段としての代表例がダンテの『神曲』と言えるでしょう。当時キリスト教会内部の抗争により追放の憂き目にあったダンテは、ホメロスのオデッセイヤを「神曲」のベースにして、しかもそれをカタルーニャ地方の方言=口語(parole)で書くパロディ(parodie)にしました。『神曲』の原題は「commedia」というのです。
 
 講義のために書かれた「新たな千年紀のための六つのメモ」は、そうしたカルヴィーノ自身の体験がベースとなったものでした。なので最初の講義では「軽さ(Lightness)」ということについて語っています。
 “重要なこと”と言う場合、この言葉には「重い」という漢字が入っています。それに比べたら「軽佻さ」「軽はずみ」というように、「軽さ」というのは、どちらかと言えば“重き”ことではないのです。なのになぜ、あえて「軽さ」なのでしょう。カルヴィーノの講義の一番最初にくる主題が「重さ」ではなく「軽さ」なのです。 
 「私はときには人間の形象から、ときには天体から、またあるときには都市から、重さを取り除こうと試みてきました。とりわけ、物語の構造と言語から重さを取り除こうと試みてきたのでした。」と書いています。
  軽さが欠点であるどころか、カルヴィーノは「軽さ」に価値を置くのです。これには、彼の闘いの歴史があったと言ってもいいのかもしれません。戦争中の弾圧、抵抗運動、彼が生きてきた時代は決して晴れやかで自由な“軽い”ものではなく、むしろ恐怖に近い重苦しい時代であったと言えるからです。
 「私がしてきたことは多くの場合、重さからの離脱であった。」と彼は書いているのです。 彼は、もっとも軽いものとして、ペルセウスの羽のはえた靴をあげます。天を自由に飛ぶペガサスに乗るペルセウスはアンドロメダを解放する勇者でもありますが、世界の重苦しさから逃れる方法として、羽のはえた靴をはいたペルセウスは、誰よりも自由な人であったのかもしれません。
 「ときとして、私には人間的なものの世界が否応なく重苦しさを免れないもののように思われるのですが、そんなとき私はペルセウスのように別の空間へ飛んでゆかなければならないように考えます。これは、夢とか非合理的なものとかへの逃避ということを言っているのではありません。私自身のアプローチの仕方を変えなければいけない、つまり別の視点、別の論理、別の認識と検証によって世界を見なければならないということなのです。」
 
 彼の言う「軽さ」とは、別な場所へ逃れるためのものではなく、「重さ」に捕らわれない「軽さ」、認識の仕方を変えることだったんですね。「重さ」は圧し潰す力であり、だとすると、新しい境地を開くための“自由度”を持っていることが、「軽さ」なのかもしれません。 
 ここで「世界の重さから飛び出る詩人」としてカヴァルカンティとダンテが紹介されます。「軽さ」が同時に「輝き:明るさ(light)」を意味するように、カルヴィーノによれば、それは澄んだ明確さでもあるのです。生存の耐え難い重さを考えれば、その対極にあるファンタジーの世界は、彼の意識を何よりも自由にさせるものだったのでしょう。
 
 次ぎに彼は「速さ」について語ります。この速さは、物語の中に存在する時間と考えると分かりやすいでしょう。瞬間的に移行するものであり、現実の概念を越えて過去も未来にも自由に移動できるものと言えます。現実の時間は一日24時間と決められていますが、小説の中ではどれだけ長く使おうが、自由であり、時空を超えて飛び立って行くこともできます。
 「時間は遠慮せずにのびのびと使ってかまわない富なのです。つまり、決められた目標に一番に到着しなければならないということはないのです。」
 未知の仮定の書、ありもしない仮想の世界を小説は書くことも可能で、現実の時間に制約されることはないのです。

 三番目の講義は「正確さ」です。「軽さ」「速さ」ときて「正確さ」は意外なような気もします。ところが彼は「私には言葉というものがつねに曖昧で、出まかせに、ぞんざいに用いられているというように思われ、そのためにゆるすことのできないほどの不愉快さを感じているのです。」と言っています。
 しかもそれは人が使う言葉にではなく、自分がものを書くときや、しゃべるときに感じているようなのです。
 「何よりも不愉快なのは自分がしゃべっているときに感じているものなのです。」と言っているのですね。書くときはまだ書き直しができるからいいけれど、しゃべるときは、「おしなべてもっとも一般的な、没個性的で、抽象的な決まり文句に均一化させてしまい、その意味を希薄にして、語と語が新しい状況に出合うとき発する花火をいっさい消し去ってしまおうとする一種の無意識的・機械的な振る舞いとして現れています。」と言っているのですが、これはきっと話し言葉になるときは「詩的」な言葉を使うわけではありませんから、どうしても言いたいことが陳腐で俗っぽい言葉になってしまうで、嫌なのでしょうね。
 言葉にする、文字にする、それで自分の言いたいこと全部が表せるわけではありません。人と対話していても、「もっと気の利いた言い方ができなかったのか、」とか、普通の人でも思うことがしばしですから、彼の文学者としての美学として、言葉がより正確であること、自分の言いたいことが確実に伝わることを願ったのでしょう。
 「回復の可能性」という言葉を使っていますが、自分の書いたままを読者が受け取ってくれるとは限りません。むしろ読者というのは、勝手に自分の読みたように読んでいくものです。彼の伝えたいメッセージのどれだけを受け取っているかは定かではないのです。だからこそより正確に、確かな言葉で伝えたいと考えているのでしょう。
 これは「言語」が持つ限界、永遠の課題と言えるかもしれません。数式のように万人が誰も同じように理解する文章を書くというのは難しく、人はセマンティクスにぞれぞれの意味を「言葉」に持って、文章を読み解いていくからです。数式のように明確で美しい文章を書いたところで、それぞれの解釈、それぞれの印象、感想を持ってしまうのは仕方のないことなのです。
 ひとつのことを何通りにも書いていけば、きっとより近いものを表現することは可能でしょうが、それでも自分のあたまの中のイメージを伝えることは難しいのです。
 レオナルド・ダ・ヴィンチが文字の草稿ではなく図やスケッチでたくさん彼の考えたことを残しているのは、それはそれで成功だっただったかもしれません。一目瞭然、何を作りたかったかが分かりますからね。


 四番目には「視覚性」ということを言っています。場所の視覚的組立、小説家は自分の描くストーリーの場面場面をビジュアル的なイメージで描いていくので、その空想力が頼みになります。イメージが先か、文章を書いてイメージが浮かぶのか、そういったことを問題にしていますが、盛んにカルヴィーノは「降ってくるイメージ」ということを言うのです。キリスト教的考えからすれば「想起」というのはア・プリオリに最初から与えられた神の天啓でもあるからですね。物語を創造してゆくのもそうした空想力であり、形相(idea)の組み合わせと考えているからです。レオナルド・ダ・ヴィンチを三番目の「正確さ」で取り上げていたのも、視覚による表現の直接性を言いたかったのではないかと思います。

 五番目に「多様性」がきます。 多面的な世界を織り上げる。
自分から限界を設けようとはもちろんしなかった作家の一人にゲーテがいます。」と、彼は書いています。
 創造性の自由とは、囚われの無さであり、多重的多層的、様々な意味を喚起できるものであるのでしょう。「開かれた百科全書という観念です。」と彼は書いていますが、そこには人間世界のあらゆるモノゴトが何でもが含まれているという意味なのでしょう。「宇宙モデル」という言葉も使っていますが、物語の根元をなす物語マザーのようなものが、そこに含まれていると考えたらいいでしょうか。
 
 六番目には「一貫性」ということが語られる予定だったのが、彼の死によって途切れてしまいました。訳者である米川良夫は「consistency」を「堅固さ」と訳すべきかとも考えられると書いています。
 「濃度」「密度」という意味もありますから、むしろ凝縮された世界(宇宙モデル)のことが語られたのかもしれません。何が語られる予定であったのかは、空白のまま永遠に残されてしまいました。



 

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