ド・ラ・メトリ『人間機械論』
デカルトは、優れた哲学者であり明晰な理論を持っていましたが、創造主としての「神」と、そのインテリジェント・デザインである「人間」という考えから離れることはできませんでした。
心身二元論では「肉体」と「精神」を完全に分かち、肉体は自然界と同じ物質・物体と考え、精神とは切り離して考えていました。「神」によって創られた人間の精神は「神」に近づくものであらねばならず、生得的(ア・プリオリ)に良識や理性が備わっていると考えていました。
その肉体と精神を結びつけるものが脳の奥の松果腺であり、血液が流れたり、心臓が動いたりする肉体の機械的な働きから、「動物機械論」を唱えます。「精神」と「肉体」を分けることで「精神」の高潔さ、霊的な崇高さを論じたのですね。
心身二元論では「肉体」と「精神」を完全に分かち、肉体は自然界と同じ物質・物体と考え、精神とは切り離して考えていました。「神」によって創られた人間の精神は「神」に近づくものであらねばならず、生得的(ア・プリオリ)に良識や理性が備わっていると考えていました。
その肉体と精神を結びつけるものが脳の奥の松果腺であり、血液が流れたり、心臓が動いたりする肉体の機械的な働きから、「動物機械論」を唱えます。「精神」と「肉体」を分けることで「精神」の高潔さ、霊的な崇高さを論じたのですね。
当時の西洋社会において「神」は絶対の創造神としてありましたから、デカルトの理性をしても、「神」の存在は絶大だったのです。
ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(1709-51)は、そうした「神」による精神の存在、霊魂を否定し、デカルトの「動物機械説」に対し、人間の精神も合一させた「人間機械論」を書きました。
「精神は感覚の筆頭、いわばすべての感覚の集合場所」と、ド・ラ・メトリは脳も含めた人間の身体は、「あらゆる生物中もっとも完全なものである」ということを言ったのです。
「機械」というと語弊がありますが、「機械」という言葉を「システム」に置き換えれば、彼の「人間機械論」というものが納得できるのではないでしょうか。
「自然より受けたる理性の光を用い、かくて経験と観察のみがこの場合われわれを導くものである。」
悟性というものが経験と観察によるもので、そうした中に人間の精神は築かれる。決して「ア・プリオリ」に内在し、‘直感'で引き出されるものではないと、彼は考えていました。
「神」が人間を初めとする万物を創ったという神学者に対し、彼は、「狂信は人体のからくりに対するかれらの無知をさらに加えている。」と弾劾しています。
ド・ラ・メトリは医者でした。人間の身体の構造・仕組みを熟知していたこと、それが「人間機械論」を生みだしたと言ってもいいでしょう。「魂と肉体はいっしょに眠る。」と彼が言うように、身体と心は分離できず、興奮すれば血が騒ぎ、血が沸き立てば興奮して眠られない。「魂の種々なる状態は肉体の状態と常に相関関係にある。」
それが身体と心の関係なのですね。
「人間はきわめて複雑な機械である」と彼は言っています。まさにシステムとしてこれ以上の機械は無いと言ってもいいですからね。何百台のコンピューターがあっても、人間が新たなものを生み出す想像力(=創造力)の代わりをすることができません。
ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(1709-51)は、そうした「神」による精神の存在、霊魂を否定し、デカルトの「動物機械説」に対し、人間の精神も合一させた「人間機械論」を書きました。
「精神は感覚の筆頭、いわばすべての感覚の集合場所」と、ド・ラ・メトリは脳も含めた人間の身体は、「あらゆる生物中もっとも完全なものである」ということを言ったのです。
「機械」というと語弊がありますが、「機械」という言葉を「システム」に置き換えれば、彼の「人間機械論」というものが納得できるのではないでしょうか。
「自然より受けたる理性の光を用い、かくて経験と観察のみがこの場合われわれを導くものである。」
悟性というものが経験と観察によるもので、そうした中に人間の精神は築かれる。決して「ア・プリオリ」に内在し、‘直感'で引き出されるものではないと、彼は考えていました。
「神」が人間を初めとする万物を創ったという神学者に対し、彼は、「狂信は人体のからくりに対するかれらの無知をさらに加えている。」と弾劾しています。
ド・ラ・メトリは医者でした。人間の身体の構造・仕組みを熟知していたこと、それが「人間機械論」を生みだしたと言ってもいいでしょう。「魂と肉体はいっしょに眠る。」と彼が言うように、身体と心は分離できず、興奮すれば血が騒ぎ、血が沸き立てば興奮して眠られない。「魂の種々なる状態は肉体の状態と常に相関関係にある。」
それが身体と心の関係なのですね。
「人間はきわめて複雑な機械である」と彼は言っています。まさにシステムとしてこれ以上の機械は無いと言ってもいいですからね。何百台のコンピューターがあっても、人間が新たなものを生み出す想像力(=創造力)の代わりをすることができません。
もう一つ彼が医者であったことで、人間や動物を実際に解剖した経験から、今日の脳性理学と変わりない見解を示しています。
「判断力、推理力、記憶力は、魂の部分にすぎないのであるが、それは少しも絶対的なものではなく、この一種の髄質膜の多様な姿にほかならない、この膜のうえに、目に描かれた対象が、あたかも幻灯で写すように反射させられるのである。」
浮かんでは消え、浮かんでは消える人間の思考をこのように、脳との関係で語っていることは慧眼です。
「判断力、推理力、記憶力は、魂の部分にすぎないのであるが、それは少しも絶対的なものではなく、この一種の髄質膜の多様な姿にほかならない、この膜のうえに、目に描かれた対象が、あたかも幻灯で写すように反射させられるのである。」
浮かんでは消え、浮かんでは消える人間の思考をこのように、脳との関係で語っていることは慧眼です。
もちろん本書の中には、納得しかねる発言もあります。女性蔑視と思われるような内容もあります。しかし、キリスト教会の異端に対する弾圧がひじょうに厳しいヨーロッパ社会において、18世紀初頭に、すでに「いかにして物質が、生命のない単純なものから、活力のあるものとなり器官からできあがったものとなったか」ということを考え、「有機組織を持った物質はひとつの原動力を具有しており、これのみが有機組織を持つ物としからざる物質との差違を作るものであることを認めていただきたい。」と、言っている人がいたということは驚きです。
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